るいとうちの人たちからいはれいはれしてゐたのである。
上の姉は女學校へはひるまでは、曾祖母とふたりで離座敷に寢起してゐたものだから、曾祖母の娘だとばかり私は思つてゐたほどであつた。曾祖母は私が小學校を卒業する頃なくなつたが、白い着物を着せられ小さくかじかんだ曾祖母の姿を納棺の際ちらと見た私は、この姿がこののちながく私の眼にこびりついたらどうしようと心配した。
私は程なく小學校を卒業したが、からだが弱いからと言ふので、うちの人たちは私を高等小學校に一年間だけ通はせることにした。からだが丈夫になつたら中學へいれてやる、それも兄たちのやうに東京の學校では健康に惡いから、もつと田舍の中學へいれてやる、と父が言つてゐた。私は中學校へなどそれほど入りたくなかつたのだけれどそれでも、からだが弱くて殘念に思ふ、と綴方へ書いて先生たちの同情を強ひたりしてゐた。
この時分には、私の村にも町制が敷かれてゐたが、その高等小學校は私の町と附近の五六ヶ村と共同で出資して作られたものであつて、まちから半里も離れた松林の中に在つた。私は病氣のためにしじゆう學校をやすんでゐたのだけれどその小學校の代表者だつたので
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