ひどく眠らせなかつた。私は又、寢床の中で火事の恐怖に理由なく苦しめられた。此の家が燒けたら、と思ふと眠るどころではなかつたのである。いつかの夜、私が寢しなに厠へ行つたら、その厠と廊下ひとつ隔てた眞暗い帳場の部屋で、書生がひとりして活動寫眞をうつしてゐた。白熊の、氷の崖から海へ飛び込む有樣が、部屋の襖へマツチ箱ほどの大きさでちらちら映つてゐたのである。私はそれを覗いて見て、書生のさういふ心持が堪らなく悲しく思はれた。床に就いてからも、その活動寫眞のことを考へると胸がどきどきしてならぬのだ。書生の身の上を思つたり、また、その映寫機のフヰルムから發火して大事になつたらどうしようとそのことが心配で心配で、その夜はあけがた近くになる迄まどろむ事が出來なかつたのである。祖母を有難く思ふのはこんな夜であつた。
まづ、晩の八時ごろ女中が私を寢かして呉れて、私の眠るまではその女中も私の傍に寢ながら附いてゐなければならなかつたのだが、私は女中を氣の毒に思ひ、床につくとすぐ眠つたふりをするのである。女中がこつそり私の床から脱け出るのを覺えつつ、私は睡眠できるやうひたすら念じるのである。十時頃まで床のなかで
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