は私にこんな質問をした。君のお父さんと僕たちとは同じ人間か。私は困つて何とも答へなかつた。
私の父は非常に忙しい人で、うちにゐることがあまりなかつた。うちにゐても子供らと一緒には居らなかつた。私は此の父を恐れてゐた。父の萬年筆をほしがつてゐながらそれを言ひ出せないで、ひとり色々と思ひ惱んだ末、或る晩に床の中で眼をつぶつたまま寢言《ねごと》のふりして、まんねんひつ、まんねんひつ、と隣部屋で客と對談中の父へ低く呼びかけた事があつたけれど、勿論それは父の耳にも心にもはひらなかつたらしい。私と弟とが米俵のぎつしり積まれたひろい米藏に入つて面白く遊んでゐると、父が入口に立ちはだかつて、坊主、出ろ、出ろ、と叱つた。光を脊から受けてゐるので父の大きい姿がまつくろに見えた。私は、あの時の恐怖を惟ふと今でもいやな氣がする。
母に對しても私は親しめなかつた。乳母の乳で育つて叔母の懷で大きくなつた私は、小學校の二三年のときまで母を知らなかつたのである。下男がふたりかかつて私にそれを教へたのだが、ある夜、傍に寢てゐた母が私の蒲團の動くのを不審がつて、なにをしてゐるのか、と私に尋ねた。私はひどく當惑して、腰
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