た。私がそのとしの夏休みに故郷へ歸つたら、浴衣に赤い帶をしめたあたらしい小柄な小間使が、亂暴な動作で私の洋服を脱がせて呉れたのだ。みよと言つた。
私は寢しなに煙草を一本こつそりふかして、小説の書き出しなどを考へる癖があつたが、みよはいつの間にかそれを知つて了つて、ある晩私の床をのべてから枕元へ、きちんと煙草盆を置いたのである。私はその次の朝、部屋を掃除しに來たみよへ、煙草はかくれてのんでゐるのだから煙草盆なんか置いてはいけない、と言ひつけた。みよは、はあ、と言つてふくれたやうにしてゐた。同じ休暇中のことだつたが、まちに浪花節の興行物が來たとき、私のうちでは、使つてゐる人たち全部を芝居小屋へ聞きにやつた。私と弟も行けと言はれたが、私たちは田舍の興行物を莫迦にして、わざと螢をとりに田圃へ出かけたのである。隣村の森ちかくまで行つたが、あんまり夜露がひどかつたので、二十そこそこを、籠にためただけでうちへ歸つた。浪花節へ行つてゐた人たちもそろそろ歸つて來た。みよに床をひかせ、蚊帳をつらせてから、私たちは電燈を消してその螢を蚊帳のなかへ放した。螢は蚊帳のあちこちをすつすつと飛んだ。みよも暫く蚊帳のそとに佇んで螢を見てゐた。私は弟と並んで寢ころびながら、螢の青い火よりもみよのほのじろい姿をよけいに感じてゐた。浪花節は面白かつたらうか、と私はすこし堅くなつて聞いた。私はそれまで、女中には用事以外の口を決してきかなかつたのである。みよは靜かな口調で、いいえ、と言つた。私はふきだした。弟は、蚊帳の裾に吸ひついてゐる一匹の螢を團扇でばさばさ追ひたてながら默つてゐた。私はなにやら工合がわるかつた。
そのころから私はみよを意識しだした。赤い絲と言へば、みよのすがたが胸に浮んだ。
三章
四年生になつてから、私の部屋へは毎日のやうにふたりの生徒が遊びに來た。私は葡萄酒と鯣をふるまつた。さうして彼等に多くの出鱈目を教へたのである。炭《すみ》のおこしかたに就いて一册の書物が出てゐるとか、「けだものの機械」といふ或る新進作家の著書に私がべたべたと機械油を塗つて置いて、かうして發賣されてゐるのだが、珍らしい裝幀でないかとか、「美貌の友」といふ飜譯本のところどころカツトされて、そのブランクになつてゐる箇所へ、私のこしらへたひどい文章を、知つてゐる印刷屋へ祕密にたのんで刷りいれてもらつて、これは奇書だとか、そんなことを言つて友人たちを驚かせたものであつた。
みよの思ひ出も次第にうすれてゐたし、そのうへに私は、ひとつうちに居る者どうしが思つたり思はれたりすることを變にうしろめたく感じてゐたし、ふだんから女の惡口ばかり言つて來てゐる手前もあつたし、みよに就いて譬へほのかにでも心を亂したのが腹立しく思はれるときさへあつたほどで、弟にはもちろん、これらの友人たちにもみよの事だけは言はずに置いたのである。
ところが、そのあたり私は、ある露西亞の作家の名だかい長編小説を讀んで、また考へ直して了つた。それは、ひとりの女囚人の經歴から書き出されてゐたが、その女のいけなくなる第一歩は、彼女の主人の甥にあたる貴族の大學生に誘惑されたことからはじまつてゐた。私はその小説のもつと大きなあぢはひを忘れて、そのふたりが咲き亂れたライラツクの花の下で最初の接吻を交したペエジに私の枯葉の枝折をはさんでおいたのだ。私もまた、すぐれた小説をよそごとのやうにして讀むことができなかつたのである。私には、そのふたりがみよと私とに似てゐるやうな氣分がしてならなかつた。私がいま少しすべてにあつかましかつたら、いよいよ此の貴族とそつくりになれるのだ、と思つた。さう思ふと私の臆病さがはかなく感じられもするのである。こんな氣のせせこましさが私の過去をあまりに平坦にしてしまつたのだと考へた。私自身で人生のかがやかしい受難者になりたく思はれたのである。
私は此のことをまづ弟へ打ち明けた。晩に寢てから打ち明けた。私は巖肅な態度で話すつもりであつたが、さう意識してこしらへた姿勢が逆に邪魔をして來て、結局うはついた。私は、頸筋をさすつたり兩手をもみ合せたりして、氣品のない話かたをした。さうしなければかなはぬ私の習性を私は悲しく思つた。弟は、うすい下唇をちろちろ舐めながら、寢がへりもせず聞いてゐたが、けつこんするのか、と言ひにくさうにして尋ねた。私はなぜだかぎよつとした。できるかどうか、とわざとしをれて答へた。弟は、恐らくできないのではないかといふ意味のことを案外なおとなびた口調でまはりくどく言つた。それを聞いて、私は自分のほんたうの態度をはつきり見つけた。私はむつとして、たけりたけつたのである。蒲團から半身を出して、だからたたかふのだ、たたかふのだ、と聲をひそめて強く言ひ張つた。弟は更紗染めの蒲團の
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