うお軽の唄をうたった。
 突如、実にまったく突如、酔いが発した。ひや酒は、たしかに、水では無かった。ひどく酔って、たちまち、私の頭上から巨大の竜巻が舞い上り、私の足は宙に浮き、ふわりふわりと雲霧の中を掻きわけて進むというあんばいで、そのうちに転倒し、
 わたしゃ
 売られて行くわいな
 と小声で呟《つぶや》き、起き上って、また転倒し、世界が自分を中心に目にもとまらぬ速さで回転し、
 わたしゃ
 売られて行くわいな
 その蚊《か》の鳴くが如き、あわれにかぼそいわが歌声だけが、はるか雲煙のかなたから聞えて来るような気持で、
 わたしゃ
 売られて行くわいな
 また転倒し、また起き上り、れいの「いい下着」も何も泥まみれ、下駄を見失い、足袋《たび》はだしのままで、電車に乗った。
 その後、私は現在まで、おそらく何百回、何千回となく、ひや酒を飲んだが、しかし、あんなにひどいめに逢った事が無かった。
 ひや酒に就いて、忘れられないなつかしい思い出が、もう一つある。
 それを語るためには、ちょっと、私と丸山定夫君との交友に就いて説明して置く必要がある。
 太平洋戦争のかなりすすんだ、あれは初秋の頃で
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