や酒となると、尚《なお》いっそう凄惨《せいさん》な場面になるのである。うなだれている番頭は、顔を挙げ、お内儀のほうに少しく膝《ひざ》をすすめて、声ひそめ、
「申し上げてもよろしゅうございますか。」
と言う。何やら意を決したもののようである。
「ああ、いいとも。何でも言っておくれ。どうせ私は、あれの事には、呆《あき》れはてているのだから。」
若旦那の不行跡に就《つ》いて、その母と、その店の番頭が心配している場面のようである。
「それならば申し上げます。驚きなすってはいけませんよ。」
「だいじょうぶだってば!」
「あの、若旦那は、深夜台所へ忍び込み、あの、ひやざけ、……」と言いも終らず番頭、がっぱと泣き伏し、お内儀、
「げえっ!」とのけぞる。木枯しの擬音。
ほとんど、ひや酒は、陰惨きわまる犯罪とせられていたわけである。いわんや、焼酎《しょうちゅう》など、怪談以外には出て来ない。
変れば変る世の中である。
私がはじめて、ひや酒を飲んだのは、いや、飲まされたのは、評論家古谷綱武君の宅に於《おい》てである。いや、その前にも飲んだ事があるのかも知れないが、その時の記憶がイヤに鮮明である。
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