のお顔を見つめたまま、お泣きになった。けれども、泣き顔になっただけで、涙は出なかった。お人形のような感じだった。
「直治は、どこ?」
と、しばらくしてお母さまは、私のほうを見ておっしゃった。
私は二階へ行って、洋間のソファに寝そべって新刊の雑誌を読んでいる直治に、
「お母さまが、お呼びですよ」
というと、
「わあ、また愁歎場《しゅうたんば》か。汝等《なんじら》は、よく我慢してあそこに頑張っておれるね。神経が太いんだね。薄情なんだね。我等は、何とも苦しくて、実《げ》に心《こころ》は熱《ねつ》すれども肉体《にくたい》よわく、とてもママの傍にいる気力は無い」
などと言いながら上衣《うわぎ》を着て、私と一緒に二階から降りて来た。
二人ならんでお母さまの枕もとに坐ると、お母さまは、急にお蒲団の下から手をお出しになって、そうして、黙って直治のほうを指差し、それから私を指差し、それから叔父さまのほうへお顔をお向けになって、両方の掌をひたとお合せになった。
叔父さまは、大きくうなずいて、
「ああ、わかりましたよ。わかりましたよ」
とおっしゃった。
お母さまは、ご安心なさったように、眼を軽くつぶって、手をお蒲団の中へそっとおいれになった。
私も泣き、直治もうつむいて嗚咽《おえつ》した。
そこへ、三宅さまの老先生が、長岡からいらして、取り敢《あ》えず注射した。お母さまも、叔父さまに逢えて、もう、心残りが無いとお思いになったか、
「先生、早く、楽にして下さいな」
とおっしゃった。
老先生と叔父さまは、顔を見合せて、黙って、そうしてお二人の眼に涙がきらと光った。
私は立って食堂へ行き、叔父さまのお好きなキツネうどんをこしらえて、先生と直治と叔母さまと四人分、支那間へ持って行き、それから叔父さまのお土産の丸ノ内ホテルのサンドウィッチを、お母さまにお見せして、お母さまの枕元に置くと、
「忙しいでしょう」
とお母さまは、小声でおっしゃった。
支那間で皆さんがしばらく雑談をして、叔父さま叔母さまは、どうしても今夜、東京へ帰らなければならぬ用事があるとかで、私に見舞いのお金包を手渡し、三宅さまも看護婦さんと一緒にお帰りになる事になり、附添いの看護婦さんに、いろいろ手当の仕方を言いつけ、とにかくまだ意識はしっかりしているし、心臓のほうもそんなにまいっていないから、注射だけでも、もう四、五日は大丈夫だろうという事で、その日いったん皆さんが自動車で東京へ引き上げたのである。
皆さんをお送りして、お座敷へ行くと、お母さまが、私にだけ笑う親しげな笑いかたをなさって、
「忙しかったでしょう」
と、また、囁《ささや》くような小さいお声でおっしゃった。そのお顔は、活《い》き活《い》きとして、むしろ輝いているように見えた。叔父さまにお逢い出来てうれしかったのだろう、と私は思った。
「いいえ」
私もすこし浮き浮きした気分になって、にっこり笑った。
そうして、これが、お母さまとの最後のお話であった。
それから、三時間ばかりして、お母さまは亡くなったのだ。秋のしずかな黄昏《たそがれ》、看護婦さんに脈をとられて、直治と私と、たった二人の肉親に見守られて、日本で最後の貴婦人だった美しいお母さまが。
お死顔は、殆《ほと》んど、変らなかった。お父上の時は、さっと、お顔の色が変ったけれども、お母さまのお顔の色は、ちっとも変らずに、呼吸だけが絶えた。その呼吸の絶えたのも、いつと、はっきりわからぬ位であった。お顔のむくみも、前日あたりからとれていて、頬《ほお》が蝋《ろう》のようにすべすべして、薄い唇《くちびる》が幽かにゆがんで微笑《ほほえ》みを含んでいるようにも見えて、生きているお母さまより、なまめかしかった。私は、ピエタのマリヤに似ていると思った。
六
戦闘、開始。
いつまでも、悲しみに沈んでもおられなかった。私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい倫理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。ローザが新しい経済学にたよらなければ生きておられなかったように、私はいま、恋一つにすがらなければ、生きて行けないのだ。イエスが、この世の宗教家、道徳家、学者、権威者の偽善をあばき、神の真の愛情というものを少しも躊躇《ちゅうちょ》するところなくありのままに人々に告げあらわさんがために、その十二|弟子《でし》をも諸方に派遣なさろうとするに当って、弟子たちに教え聞かせたお言葉は、私のこの場合にも全然、無関係でないように思われた。
「帯《おび》のなかに金銀《きんぎん》または銭《ぜに》を持《も》つな。旅《たび》の嚢《ふくろ》も、二枚《にまい》の下衣《したぎ》も、鞋《くつ》も、杖《つえ》も持《も》つな。視《み》よ、我《われ》なんじらを遣《つかわ》すは、羊《ひつじ》を豺狼《おおかみ》のなかに入《い》るるが如《ごと》し。この故《ゆえ》に蛇《へび》のごとく慧《さと》く、鴿《はと》のごとく素直《すなお》なれ。人々《ひとびと》に心《こころ》せよ、それは汝《なんじ》らを衆議所《しゅうぎしょ》に付《わた》し、会堂《かいどう》にて鞭《むちう》たん。また汝等《なんじら》わが故《ゆえ》によりて、司《つかさ》たち王《おう》たちの前《まえ》に曳《ひ》かれん。かれら汝《なんじ》らを付《わた》さば、如何《いかに》なにを言《い》わんと思《おも》い煩《わずら》うな、言《い》うべき事《こと》は、その時《とき》さずけられるべし。これ言《い》うものは汝等《なんじら》にあらず、其《そ》の中《うち》にありて言《い》いたまう汝《なんじ》らの父《ちち》の霊《れい》なり。又《また》なんじら我《わ》が名《な》のために凡《すべ》ての人《ひと》に憎《にく》まれん。されど終《おわり》まで耐《た》え忍《しの》ぶものは救《すく》わるべし。この町《まち》にて、責《せ》めらるる時《とき》は、かの町《まち》に逃《のが》れよ。誠《まこと》に汝《なんじ》らに告《つ》ぐ、なんじらイスラエルの町々《まちまち》を巡《めぐ》り尽《つく》さぬうちに人《ひと》の子《こ》は来《きた》るべし。
身《み》を殺《ころ》して霊魂《たましい》をころし得《え》ぬ者《もの》どもを懼《おそ》るな、身《み》と霊魂《たましい》とをゲヘナにて滅《ほろぼ》し得《う》る者《もの》をおそれよ。われ地《ち》に平和《へいわ》を投《とう》ぜんために来《きた》れりと思《おも》うな、平和《へいわ》にあらず、反《かえ》って剣《つるぎ》を投《とう》ぜん為《ため》に来《きた》れり。それ我《わ》が来《きた》れるは人《ひと》をその父《ちち》より、娘《むすめ》をその母《はは》より、嫁《よめ》をその姑※[#「女+章」、第4水準2−5−75]《しゅうとめ》より分《わか》たん為《ため》なり。人《ひと》の仇《あだ》は、その家《いえ》の者《もの》なるべし。我《われ》よりも父《ちち》または母《はは》を愛《あい》する者《もの》は、我《われ》に相応《ふさわ》しからず。我《われ》よりも息子《むすこ》または娘《むすめ》を愛《あい》する者《もの》は、我《われ》に相応《ふさわ》しからず。又《また》おのが十字架《じゅうじか》をとりて我《われ》に従《したが》わぬ者《もの》は、我《われ》に相応《ふさわ》しからず。生命《いのち》を得《う》る者《もの》は、これを失《うしな》い、我《わ》がために生命《いのち》を失《うしな》う者《もの》は、これを得《う》べし」
戦闘、開始。
もし、私が恋ゆえに、イエスのこの教えをそっくりそのまま必ず守ることを誓ったら、イエスさまはお叱《しか》りになるかしら。なぜ、「恋」がわるくて、「愛」がいいのか、私にはわからない。同じもののような気がしてならない。何だかわからぬ愛のために、恋のために、その悲しさのために、身《み》と霊魂《たましい》とをゲヘナにて滅《ほろぼ》し得《う》る者《もの》、ああ、私は自分こそ、それだと言い張りたいのだ。
叔父さまたちのお世話で、お母さまの密葬を伊豆で行い、本葬は東京ですまして、それからまた直治と私は、伊豆の山荘で、お互い顔を合せても口をきかぬような、理由のわからぬ気まずい生活をして、直治は出版業の資本金と称して、お母さまの宝石類を全部持ち出し、東京で飲み疲れると、伊豆の山荘へ大病人のような真蒼《まっさお》な顔をしてふらふら帰って来て、寝て、或る時、若いダンサアふうのひとを連れて来て、さすがに直治も少し間が悪そうにしているので、
「きょう、私、東京へ行ってもいい? お友だちのところへ、久し振りで遊びに行ってみたいの。二晩か、三晩、泊って来ますから、あなた留守番してね。お炊事は、あのかたに、たのむといいわ」
直治の弱味にすかさず附け込み、謂《い》わば蛇のごとく慧く、私はバッグにお化粧品やパンなど詰め込んで、きわめて自然に、あのひとと逢いに上京する事が出来た。
東京郊外、省線|荻窪《おぎくぼ》駅の北口に下車すると、そこから二十分くらいで、あのひとの大戦後の新しいお住居《すまい》に行き着けるらしいという事は、直治から前にそれとなく聞いていたのである。
こがらしの強く吹いている日だった。荻窪駅に降りた頃《ころ》には、もうあたりが薄暗く、私は往来のひとをつかまえては、あのひとのところ番地を告げて、その方角を教えてもらって、一時間ちかく暗い郊外の路地をうろついて、あまり心細くて、涙が出て、そのうちに砂利道《じゃりみち》の石につまずいて下駄の鼻緒がぷつんと切れて、どうしようかと立ちすくんで、ふと右手の二軒長屋のうちの一軒の家の表札が、夜目にも白くぼんやり浮んで、それに上原と書かれているような気がして、片足は足袋はだしのまま、その家の玄関に走り寄って、なおよく表札を見ると、たしかに上原二郎としたためられていたが、家の中は暗かった。
どうしようか、とまた瞬時立ちすくみ、それから、身を投げる気持で、玄関の格子戸《こうしど》に倒れかかるようにひたと寄り添い、
「ごめん下さいまし」
と言い、両手の指先で格子を撫《な》でながら、
「上原さん」
と小声で囁《ささや》いてみた。
返事は、有った。しかし、それは、女のひとの声であった。
玄関の戸が内からあいて、細おもての古風な匂いのする、私より三つ四つ年上のような女のひとが、玄関の暗闇《くらやみ》の中でちらと笑い、
「どちらさまでしょうか」
とたずねるその言葉の調子には、なんの悪意も警戒も無かった。
「いいえ、あのう」
けれども私は、自分の名を言いそびれてしまった。このひとにだけは、私の恋も、奇妙にうしろめたく思われた。おどおどと、ほとんど卑屈に、
「先生は? いらっしゃいません?」
「はあ」
と答えて、気の毒そうに私の顔を見て、
「でも、行く先は、たいてい、……」
「遠くへ?」
「いいえ」
と、可笑《おか》しそうに片手をお口に当てられて、
「荻窪ですの。駅の前の、白石《しらいし》というおでんやさんへおいでになれば、たいてい、行く先がおわかりかと思います」
私は飛び立つ思いで、
「あ、そうですか」
「あら、おはきものが」
すすめられて私は、玄関の内へはいり、式台に坐《すわ》らせてもらい、奥さまから、軽便鼻緒とでもいうのかしら、鼻緒の切れた時に手軽に繕うことの出来る革の仕掛紐《しかけひも》をいただいて、下駄を直して、そのあいだに奥さまは、蝋燭《ろうそく》をともして玄関に持って来て下さったりしながら、
「あいにく、電球が二つとも切れてしまいまして、このごろの電球は馬鹿高い上に切れ易《やす》くていけませんわね、主人がいると買ってもらえるんですけど、ゆうべも、おとといの晩も帰ってまいりませんので、私どもは、これで三晩、無一文の早寝ですのよ」
などと、しんからのんきそうに笑っておっしゃる。奥さまのうしろには、十二、三歳の眼の大きな、めったに人になつかないような感じのほっそりした女のお子さんが立っている。
敵。私はそう思わないけれども、しかし、この奥さまとお子さんは、いつかは私を敵と
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