ょう。まずしい、中年の女。おお、いやだ。でも、中年の女の生活にも、女の生活が、やっぱり、あるんですのね。このごろ、それがわかって来ました。英人の女教師が、イギリスにお帰りの時、十九の私にこうおっしゃったのを覚えています。
「あなたは、恋をなさっては、いけません。あなたは、恋をしたら、不幸になります。恋を、なさるなら、もっと、大きくなってからになさい。三十になってからになさい」
 けれども、そう言われても私は、きょとんとしていました。三十になってからの事など、その頃の私には、想像も何も出来ないことでした。
「このお別荘を、お売りになるとかいう噂《うわさ》を聞きましたが」
 師匠さんは、意地わるそうな表情で、ふいとそうおっしゃいました。
 私は笑いました。
「ごめんなさい。桜の園を思い出したのです。あなたが、お買いになって下さるのでしょう?」
 師匠さんは、さすがに敏感にお察しになったようで、怒ったように口をゆがめて黙しました。
 或る宮様のお住居《すまい》として、新円五十万円でこの家を、どうこうという話があったのも事実ですが、それは立ち消えになり、その噂でも師匠さんは聞き込んだのでしょう
前へ 次へ
全193ページ中98ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング