け》の生活って、むずかしいものらしいのね。人の話では、お妾は普通、用が無くなると、捨てられるものですって。六十ちかくなると、どんな男のかたでも、みんな、本妻の所へお戻りになるんですって。ですから、お妾にだけはなるものじゃないって、西片町のじいやと乳母《うば》が話合っているのを、聞いた事があるんです。でも、それは、世間普通のお妾のことで、私たちの場合は、ちがうような気がします。あなたにとって、一番、大事なのは、やはり、あなたのお仕事だと思います。そうして、あなたが、私をおすきだったら、二人が仲よくする事が、お仕事のためにもいいでしょう。すると、あなたの奥さまも、私たちの事を納得して下さいます。へんな、こじつけの理窟《りくつ》みたいだけど、でも、私の考えは、どこも間違っていないと思うわ。
 問題は、あなたの御返事だけです。私を、すきなのか、きらいなのか、それとも、なんともないのか、その御返事、とてもおそろしいのだけれども、でも、伺わなければなりません。こないだの手紙にも、私、押しかけ愛人、と書き、また、この手紙にも、中年の女の押しかけ、などと書きましたが、いまよく考えてみましたら、あなたからの御返事が無ければ、私、押しかけようにも、何も、手がかりが無く、ひとりでぼんやり痩《や》せて行くだけでしょう。やはりあなたの何かお言葉が無ければ、ダメだったんです。
 いまふっと思った事でございますが、あなたは、小説ではずいぶん恋の冒険みたいな事をお書きになり、世間からもひどい悪漢のように噂をされていながら、本当は、常識家なんでしょう。私には、常識という事が、わからないんです。すきな事が出来さえすれば、それはいい生活だと思います。私は、あなたの赤ちゃんを生みたいのです。他のひとの赤ちゃんは、どんな事があっても、生みたくないんです。それで、私は、あなたに相談をしているのです。おわかりになりましたら、御返事を下さい。あなたのお気持を、はっきり、お知らせ下さい。
 雨があがって、風が吹き出しました。いま午後三時です。これから、一級酒(六合)の配給を貰《もら》いに行きます。ラム酒の瓶《びん》を二本、袋にいれて、胸のポケットに、この手紙をいれて、もう十分ばかりしたら、下の村に出かけます。このお酒は、弟に飲ませません。かず子が飲みます。毎晩、コップで一ぱいずついただきます。お酒は、本当は、コップで飲むものですわね。
 こちらに、いらっしゃいません?
  M・C様


 きょうも雨降りになりました。目に見えないような霧雨《きりさめ》が降っているのです。毎日々々、外出もしないで御返事をお待ちしているのに、とうとうきょうまでおたよりがございませんでした。いったいあなたは、何をお考えになっているのでしょう。こないだの手紙で、あの大師匠さんの事など書いたのが、いけなかったのかしら。こんな縁談なんかを書いて、競争心をかき立てようとしていやがる、とでもお思いになったのでしょうか。でも、あの縁談は、もうあれっきりだったのです。さっきも、お母さまと、その話をして笑いました。お母さまは、こないだ舌の先が痛いとおっしゃって、直治にすすめられて、美学療法をして、その療法に依《よ》って、舌の痛みもとれて、この頃はちょっとお元気なのです。
 さっき私がお縁側に立って、渦《うず》を巻きつつ吹かれて行く霧雨を眺めながら、あなたのお気持の事を考えていましたら、
「ミルクを沸《わか》したから、いらっしゃい」
 とお母さまが食堂のほうからお呼びになりました。
「寒いから、うんと熱くしてみたの」
 私たちは、食堂で湯気の立っている熱いミルクをいただきながら、先日の師匠さんの事を話合いました。
「あの方と、私とは、どだい何も似合いませんでしょう?」
 お母さまは平気で、
「似合わない」
 とおっしゃいました。
「私、こんなにわがままだし、それに芸術家というものをきらいじゃないし、おまけに、あの方にはたくさんの収入があるらしいし、あんな方と結婚したら、そりゃいいと思うわ。だけど、ダメなの」
 お母さまは、お笑いになって、
「かず子は、いけない子ね。そんなに、ダメでいながら、こないだあの方と、ゆっくり何かとたのしそうにお話をしていたでしょう。あなたの気持が、わからない」
「あら、だって、面白かったんですもの。もっと、いろいろ話をしてみたかったわ。私、たしなみが無いのね」
「いいえ、べったりしているのよ。かず子べったり」
 お母さまは、きょうは、とてもお元気。
 そうして、きのうはじめてアップにした私の髪をごらんになって、
「アップはね、髪の毛の少いひとがするといいのよ。あなたのアップは立派すぎて、金《きん》の小さい冠でも載せてみたいくらい。失敗ね」
「かず子がっかり。だって、お母さまはいつだったか、か
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