いものにしました。
この不思議な言葉は、民主々義とも、またマルキシズムとも、全然無関係のものなのです。それは、かならず、酒場に於《お》いて醜男《ぶおとこ》が美男子に向って投げつけた言葉です。ただの、イライラです。嫉妬《しっと》です。思想でも何でも、ありゃしないんです。
けれども、その酒場のやきもちの怒声が、へんに思想めいた顔つきをして民衆のあいだを練り歩き、民主々義ともマルキシズムとも全然、無関係の言葉の筈なのに、いつのまにやら、その政治思想や経済思想にからみつき、奇妙に下劣なあんばいにしてしまったのです。メフィストだって、こんな無茶な放言を、思想とすりかえるなんて芸当は、さすがに良心に恥じて[#「良心に恥じて」に傍点]、躊躇《ちゅうちょ》したかも知れません。
人間は、みな、同じものだ。
なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドも無く、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。マルキシズムは、働く者の優位を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。民主々義は、個人の尊厳を主張する。同じものだ、などとは言わぬ。ただ、牛太郎だけがそれを言う。「へへ、いくら気取ったって、同じ人間じゃねえか」
なぜ、同じ[#「同じ」に傍点]だと言うのか。優《すぐ》れている、と言えないのか。奴隷《どれい》根性の復讐《ふくしゅう》。
けれども、この言葉は、実に猥《わい》せつで、不気味で、ひとは互いにおびえ、あらゆる思想が姦《かん》せられ、努力は嘲笑《ちょうしょう》せられ、幸福は否定せられ、美貌《びぼう》はけがされ、栄光は引きずりおろされ、所謂「世紀の不安」は、この不思議な一語からはっしていると僕は思っているんです。
イヤな言葉だと思いながら、僕もやはりこの言葉に脅迫せられ、おびえて震えて、何を仕様としてもてれくさく、絶えず不安で、ドキドキして身の置きどころが無く、いっそ酒や麻薬の目まいに依《よ》って、つかのまの落ちつきを得たくて、そうして、めちゃくちゃになりました。
弱いのでしょう。どこか一つ重大な欠陥のある草なのでしょう。また、何かとそんな小理屈《こりくつ》を並べたって、なあに、もともと遊びが好きなのさ、なまけ者の、助平の、身勝手な快楽児なのさ、とれいの牛太郎がせせら笑って言うかも知れません。そうして、僕はそう言われても、いままでは、た
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