ン》を用いました。姉さんには僕のこんな気持、わからねえだろうな。
 僕は下品になりたかった。強く、いや強暴になりたかった。そうして、それが、所謂《いわゆる》民衆の友になり得る唯一《ゆいいつ》の道だと思ったのです。お酒くらいでは、とても駄目だったんです。いつも[#「いつも」に傍点]、くらくら目まいをしていなければならなかったんです[#「くらくら目まいをしていなければならなかったんです」に傍点]。そのためには、麻薬以外になかったのです。僕は、家を忘れなければならない。父の血に反抗しなければならない。母の優しさを、拒否しなければならない。姉に冷たくしなければならない。そうでなければ、あの民衆の部屋にはいる入場券が得られないと思っていたんです。
 僕は下品になりました。下品な言葉づかいをするようになりました。けれども、それは半分は、いや、六十パーセントは、哀れな附け焼刃でした。へたな小細工でした。民衆にとって、僕はやはり、キザったらしく乙《おつ》にすました気づまりの男でした。彼等は僕と、しんから打ち解けて遊んでくれはしないのです。しかし、また、いまさら捨てたサロンに帰ることも出来ません。いまでは僕の下品は、たとい六十パーセントは人工の附け焼刃でも、しかし、あとの四十パーセントは、ほんものの下品になっているのです。僕はあの、所謂上流サロンの鼻持ちならないお上品さには、ゲロが出そうで、一刻も我慢できなくなっていますし、また、あのおえらがたとか、お歴々とか称せられている人たちも、僕のお行儀の悪さに呆《あき》れてすぐさま放逐するでしょう。捨てた世界に帰ることも出来ず、民衆からは悪意に満ちたクソていねいの傍聴席を与えられているだけなんです。
 いつの世でも、僕のような謂《い》わば生活力が弱くて、欠陥のある草は、思想もクソも無いただおのずから消滅するだけの運命のものなのかも知れませんが、しかし、僕にも、少しは言いぶんがあるのです。とても僕には生きにくい、事情を感じているんです。
 人間は、みな、同じものだ。
 これは、いったい、思想でしょうか。僕はこの不思議な言葉を発明したひとは、宗教家でも哲学者でも芸術家でも無いように思います。民衆の酒場からわいて出た言葉です。蛆《うじ》がわくように、いつのまにやら、誰が言い出したともなく、もくもく湧《わ》いて出て、全世界を覆《おお》い、世界を気まず
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