は思わない。芸術は、そんなに、人に強いるものではないと思う。
一日に三十枚は平気で書ける作家もいるという。私は一日五枚書くと大威張りだ。描写が下手だから苦労するのである。語彙《ごい》が貧弱だから、ペンが渋るのである。遅筆は、作家の恥辱である。一枚書くのに、二、三度は、辞林を調べている。嘘字か、どうか不安なのである。
自作を語れ、と言われると、どうして私は、こんなに怒るのだろう。私は、自分の作品をあまり認めていないし、また、よその人の作品もそんなに認めていない。私が、いま考えている事を、そのまま率直に述べたら、人は、たちまち私を狂人あつかいにするだろう。狂人あつかいは、いやだ。やはり私は、沈黙していなければならぬ。もう少しの我慢である。
ああ早く、一枚三円以上の小説ばかりを書きたい。こんな事では、作家は、衰弱するばかりである。私が、はじめて「文藝」に創作を売ってから、もう七年になる。
流行は、したくない。また、流行するわけも無い。流行の虚無も知っている。一年一冊の創作集を出し、三千部くらいは売れてくれ。私の今までの十冊ちかい創作集のうちで、二千五百部の出版が最高である。
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