合せ、とある。」
「一本三銭の Camel をくゆらす。すこし豪華な、ありがたい気持になる。自分が可愛くなる。」
「女中がそっとはいって来て、お床は? ということになる。」
「はね起きて、二つだよ、と快活に答える。ふと、お酒を呑みたく思うが、がまんをする。」
「そろそろ女のひとがかえって来ていいころだね。」
「まだだ。やがて女中のいなくなったのを見すまして、僕は奇妙なことをはじめる。」
「逃げるのじゃ、ないだろうね。」
「お金をしらべる。十円紙幣が三枚。小銭が二三円ある。」
「大丈夫だ。女がかえったときには、また、贋《にせ》の仕事をはじめている。はやかったかしら、と女がつぶやく。多少おどおどしている。」
「答えない。仕事をつづけながら、僕にかまわずにおやすみなさい、と言う、すこし命令の口調だ。いろはにほへと、一字一字原稿用紙に書き記す。」
「女は、おさきに、とうしろで挨拶をする。」
「ちりぬるをわか、と書いて、ゑひもせす、と書く。それから、原稿用紙を破る。」
「いよいよ、気ちがいじみて来たね。」
「仕方がないよ。」
「まだ寝ないのか?」
「風呂場へ行く。」
「すこし寒くなって来たからね。」
「それどころじゃない。軽い惑乱がはじまっているのだ。お湯に一時間くらい、阿呆《あほう》みたいにつかっている。風呂から這《は》い出るころには、ぼっとして、幽霊だ。部屋へ帰って来ると、女は、もう寝ている。枕もとに行燈《あんどん》の電気スタンドがついている。」
「女は、もう、ねむっているのか?」
「ねむっていない。目を、はっきりと、あいている。顔が蒼い。口をひきしめて、天井を見つめている。僕は、ねむり薬を呑んで、床へはいる。」
「女の?」
「そうじゃない。――寝てから五分くらいたって、僕は、そっと起きる。いや、むっくり起きあがる。」
「涙ぐんでいる。」
「いや、怒っている。立ったままで、ちらと女のほうを見る。女は蒲団の中でからだをかたくする。僕はその様を見て、なんの不足もなくなった。トランクから荷風の冷笑という本を取り出し、また床の中へはいる。女のほうへ背をむけたままで、一心不乱に本を読む。」
「荷風は、すこし、くさくないかね?」
「それじゃ、バイブルだ。」
「気持は、判るのだがね。」
「いっそ、草双紙ふうのものがいいかな?」
「君、その本は重大だよ。ゆっくり考えてみようじゃないか。怪
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