したため、父はタオルでやたらに顔の汗を拭《ふ》き、
「めし食って大汗かくもげびた事、と柳多留《やなぎだる》にあったけれども、どうも、こんなに子供たちがうるさくては、いかにお上品なお父《とう》さんといえども、汗が流れる」
 と、ひとりぶつぶつ不平を言い出す。
 母は、一歳の次女におっぱいを含ませながら、そうして、お父さんと長女と長男のお給仕をするやら、子供たちのこぼしたものを拭くやら、拾うやら、鼻をかんでやるやら、八面六臂《はちめんろっぴ》のすさまじい働きをして、
「お父さんは、お鼻に一ばん汗をおかきになるようね。いつも、せわしくお鼻を拭いていらっしゃる」
 父は苦笑して、
「それじゃ、お前はどこだ。内股《うちまた》かね?」
「お上品なお父さんですこと」
「いや、何もお前、医学的な話じゃないか。上品も下品も無い」
「私はね」
 と母は少しまじめな顔になり、
「この、お乳とお乳のあいだに、……涙の谷、……」
 涙の谷。
 父は黙して、食事をつづけた。

 私は家庭に在《あ》っては、いつも冗談を言っている。それこそ「心には悩みわずらう」事の多いゆえに、「おもてには快楽《けらく》」をよそわざる
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