私は、ひとりの青年に目をつけた。映画で覚えたのか煙草《たばこ》の吸いかたが、なかなか気取っている。外国の役者の真似にちがいない。小型のトランク一つさげて、改札口を出ると、屹《き》っと片方の眉をあげて、あたりを見廻す。いよいよ役者の真似である。洋服も、襟《えり》が広くおそろしく派手な格子縞《こうしじま》であって、ズボンは、あくまでも長く、首から下は、すぐズボンの観がある。白麻のハンチング、赤皮の短靴、口をきゅっと引きしめて颯爽《さっそう》と歩き出した。あまりに典雅で、滑稽であった。からかってみたくなった。私は、当時退屈し切っていたのである。
「おい、おい、滝谷君。」トランクの名札に滝谷と書かれて在ったから、そう呼んだ。「ちょっと。」
相手の顔も見ないで、私はぐんぐん先に歩いた。運命的に吸われるように、その青年は、私のあとへ従《つ》いて来た。私は、ひとの心理については多少、自信があったのである。ひとがぼっとしているときには、ただ圧倒的に命令するに限るのである。相手は、意のままである。下手に、自然を装い、理窟《りくつ》を言って相手に理解させ安心させようなどと努力すれば、かえっていけない。
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