ます。」なんの情緒も無かった。
 宿へ帰ったのは、八時すぎだった。私は再び、さむらいの姿勢にかえって、女中さんに蒲団《ふとん》をひかせ、すぐに寝た。明朝は、相川へ行ってみるつもりである。夜半、ふと眼がさめた。ああ、佐渡だ、と思った。波の音が、どぶんどぶんと聞える。遠い孤島の宿屋に、いま寝ているのだという感じがはっきり来た。眼が冴《さ》えてしまって、なかなか眠られなかった。謂《い》わば、「死ぬほど淋しいところ」の酷烈《こくれつ》な孤独感をやっと捕えた。おいしいものではなかった。やりきれないものであった。けれども、これが欲しくて佐渡までやって来たのではないか。うんと味わえ。もっと味わえ。床の中で、眼をはっきり開いて、さまざまの事を考えた。自分の醜さを、捨てずに育てて行くより他は、無いと思った。障子《しょうじ》が薄蒼くなって来る頃まで、眠らずにいた。翌朝、ごはんを食べながら、私は女中さんに告白した。
「ゆうべ、よしつねという料理屋に行ったが、つまらなかった。たてものは大きいが、悪いところだね。」
「ええ、」女中さんは、くつろいで、「このごろ出来た家ですよ。古くからの寺田屋などは、格式もあって、いいそうです。」
「そうです。格式のある家でなければ、だめです。寺田屋へ行けばよかった。」
 女中さんは、なぜだか、ひどく笑った。声をたてずに、うつむいて肩に波打たせて笑っているのである。私も、意味がわからなかったけれども、はは、と笑った。
「お客さんは、料理屋などおきらいかと思っていました。」
「きらいじゃないさ。」私も、もう気取らなくなっていた。宿屋の女中さんが一ばんいいのだと思った。
 お勘定をすまして出発する時も、その女中さんは、「行っていらっしゃい。」と言った。佳い挨拶だと思った。
 相川行のバスに乗った。バスの乗客は、ほとんど此の土地の者ばかりであった。皮膚病の人が多かった。漁村には、どうしてだか、皮膚病が多いようである。
 きょうは秋晴れである。窓外の風景は、新潟地方と少しも変りは無かった。植物の緑は、淡《あわ》い。山が低い。樹木は小さく、ひねくれている。うすら寒い田舎道《いなかみち》。娘さんたちは長い吊鐘《つりがね》マントを着て歩いている。村々は、素知らぬ振りして、ちゃっかり生活を営んでいる。旅行者などを、てんで黙殺している。佐渡は、生活しています。一言にして語ればそ
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