のですから。」
「じゃ私たちは、もう二、三日、金木の家へ泊めてもらって、――それは図々《ずうずう》しいでしょうか。」
「お母さんの容態に依《よ》りますな。とにかく、あした電話で打ち合せましょう。」
「北さんは?」
「あした東京へ帰ります。」
「たいへんですね。去年の夏も、北さんは、すぐにお帰りになったし、ことしこそ、青森の近くの温泉にでも御案内しようと、私たちは準備して来たのですけど。」
「いや、お母さんがあんなに悪いのに、温泉どころじゃありません。じっさい、こんなに容態がお悪くなっているとは思わなかった。案外でした。あなたに払っていただいた汽車賃は、あとで計算しておかえし致しますから。」突然、汽車賃の事など言い出したので、私はまごついた。
「冗談じゃない。お帰りの切符も私が買わなければならないところです。そんな御心配は、よして下さい。」
「いや、はっきり計算してみましょう。中畑さんのところにあずけて置いたあなた達の荷物も、あした早速、中畑さんにたのんで金木のお家へとどけさせる事にしましょう。もう、それで私の用事は無い。」まっくらい路を、どんどん歩いて行く。「停車場はこっちでしたね? もう、お見送りは結構ですよ。本当に、もう。」
「北さん!」私は追いすがるように、二、三歩足を早めて、「何か兄さんに言われましたか?」
「いいえ。」北さんは、歩をゆるめて、しんみりした口調で言った。「そんな心配は、もう、なさらないほうがいい。私は今夜は、いい気持でした。文治さんと英治さんとあなたと、立派な子供が三人ならんで坐っているところを見たら、涙が出るほど、うれしかった。もう私は、何も要らない。満足です。私は、はじめから一文の報酬だって望んでいなかった。それは、あなただってご存じでしょう? 私は、ただ、あなた達兄弟三人を並べて坐らせて見たかったのです。いい気持です。満足です。修治さんも、まあ、これからしっかりおやりなさい。私たち老人は、そろそろひっこんでいい頃です。」
北さんを見送って、私は家へ引返した。もうこれからは北さんにたよらず、私が直接、兄たちと話合わなければならぬのだ、と思ったら、うれしさよりも恐怖を感じた。きっとまた、へまな不作法などを演じて、兄たちを怒らせるのではあるまいかという卑屈《ひくつ》な不安で一ぱいだった。
家の中は、見舞い客で混雑していた。私は見舞客たちに
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