経っても何一つ正確に描写する事が出来ない筈です。主観的たれ! 強い一つの主観を持ってすすめ。単純な眼を持て。」
昨年の暮、私は二つの映画を見た。「無法松の一生」とかいうのと、「重慶から来た男」とかいう映画である。そうして、「無法松」はたいへんつまらなかった。「芸術的」という努力は、なんてまあ古いもんだろうと思った。阪妻はヤニングスみたいな熱演で、私は阪妻に同情したが、しかし、いいとは思えなかった。阪妻に対する不満ではない。「無法松」という映画に対する不満である。どこがいいのか、私には、さっぱりわからなかった。傑作意識を捨てなければならぬ。傑作意識というものは、かならず昔のお手本の幻影に迷わされているものである。だからいつまで経っても、古いのである。まるで、それこそ、筋書どおりじゃないか。あまりに、ものほしげで、閉口した。「芸術的」陶酔《とうすい》をやめなければならぬ。始めから終りまで「優秀場面」の連続で、そうして全体が、ぐんなりしている。「重慶から来た男」のほうは、これとは、まるで反対であった。およそ「芸術的」でない。優秀場面なんて一つもない。ひどく皆うろたえて走り廻っている。けれ
前へ
次へ
全7ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング