の昆蟲どもがそれにひらひらからかつてゐた。テントの布地が足りなかつたのであらう、小屋の天井に十坪ほどのおほきな穴があけつぱなしにされてゐて、そこから星空が見えるのだ。
くろんぼの檻が、ふたりの男に押されて舞臺へ出た。檻の底に車輪の脚がついてゐるらしくからからと音たてて舞臺へ滑り出たのである。頬被りしたお客たちの怒號と拍手。少年は、ものうげに眉をあげて檻の中をしづかに觀察しはじめた。
少年は、せせら笑ひの影を顏から消した。刺繍は日の丸の旗であつたのだ。少年の心臟は、とくとくと幽かな音たてて鳴りはじめた。兵隊やそのほか兵隊に似かよつたやうな概念のためではない。くろんぼが少年をあざむかなかつたからである。ほんたうに刺繍をしてゐたのだ。日の丸の刺繍は簡單であるから、闇のなかで手さぐりしながらでもできるのだ。ありがたい。このくろんぼは正直者だ。
やがて、燕尾服を着た仁丹の鬚のある太夫が、お客に彼女のあらましの來歴を告げて、それから、ケルリ、ケルリ、と檻に向つて二聲叫び、右手のむちを小粹に振つた。むちの音が少年の胸を鋭くつき刺した。太夫に嫉妬を感じたのである。くろんぼは、立ちあがつた。
むちの音におびやかされつつ、くろんぼはのろくさと二つ三つの藝をした。それは卑猥の藝であつた。少年を置いてほかのお客たちはそれを知らぬのだ。ひとを食ふか食はぬか。まつかな角があるかないか。そんなことだけが問題であつたのである。
くろんぼのからだには、青い藺の腰蓑がひとつ、つけられてゐた。油を塗りこくつてあるらしく、すみずみまでつよく光つてゐた。をはりに、くろんぼは謠をひとくさり唄つた。伴奏は太夫のむちの音であつた。シヤアボン、シヤアボンといふ簡單な言葉である。少年は、その謠のひびきを愛した。どのやうにぶざまな言葉でも、せつない心がこもつてをれば、きつとひとを打つひびきが出るものだ。さう考へて、またぐつと眼をつぶつた。
その夜、くろんぼを思ひ、少年はみづからを汚した。
翌朝、少年は登校した。教室の窓を乘り越へ、背戸の小川を飛び越へ、チヤリネのテントめがけて走つた。テントのすきまから、ほの暗い内部を覗いたのである。チヤリネのひとたちは舞臺にいつぱい蒲圃を敷きちらし、ごろごろと芋蟲のやうに寢てゐた。學校の鐘が鳴りひびいた。授業がはじまるのだ。少年は、うごかなかつた。くろんぼは寢てゐないので
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