《ろうばい》して、顔が耳元まで熱くなって逃げてしまった。他の兵隊さんの笑い声も聞えた。
 その、呼びかけられた二つの記憶を、私は、いつまでも大事にしまって置きたいと思っている。
 昭和五年に東京の大学へはいって、それからは、もう中畑さんは私にとって、なくてはならぬ人になってしまっていた。中畑さんも既に独立して呉服商を営み、月に一度ずつ東京へ仕入れに出て来て、その度毎に私のところへこっそり立ち寄ってくれるのである。当時、私は或《あ》る女の人と一軒、家を持っていて、故郷の人たちとは音信不通になっていたのであるが、中畑さんは、私の老母などからひそかに頼まれて、何かと間を取りついでくれていたのである。私も、女も、中畑さんの厚情に甘えて、矢鱈《やたら》に我儘《わがまま》を言い、実にさまざまの事をたのんだのである。その頃の事情を最も端的に説明している一文が、いま私の手許にあるのでそれを紹介しよう。これは私の創作「虚構の春」のおしまいの部分に載っている手紙文であるが、もちろん虚構の手紙である。けれども事実に於いて大いに相違があっても、雰囲気《ふんいき》に於いては、真実に近いものがあると言ってよいと思
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