さまざまの醜態《しゅうたい》をやって来ているのだ。とても許される筈《はず》は無いのだ。
「なあに、うまくいきますよ。」北さんはひとり意気|軒昂《けんこう》たるものがあった。「あなたは柳生《やぎゅう》十兵衛のつもりでいなさい。私は大久保彦左衛門の役を買います。お兄さんは、但馬守《たじまのかみ》だ。かならず、うまくいきますよ。但馬守だって何だって、彦左の横車には、かないますまい。」
「けれども、」弱い十兵衛は、いたずらに懐疑的だ。「なるべくなら、そんな横車なんか押さないほうがいいんじゃないかな。僕にはまだ十兵衛の資格はないし、下手《へた》に大久保なんかが飛び出したら、とんでもない事になりそうな気がするんだけど。」
 生真面目で、癇癖《かんぺき》の強い兄を、私はこわくて仕様がないのだ。但馬守だの何だの、そんな洒落《しゃれ》どころでは無いのだ。
「責任を持ちます。」北さんは、強い口調で言った。「結果がどうなろうと、私が全部、責任を負います。大舟に乗った気で、彦左に、ここはまかせて下さい。」
 私はもはや反対する事が出来なかった。
 北さんも気が早い。その翌《あく》る日の午後七時、上野発の急行に乗ろうという。私は、北さんにまかせた。その夜、北さんと別れてから、私は三鷹のカフェにはいって思い切り大酒を飲んだ。
 翌る日午後五時に、私たちは上野駅で逢い、地下食堂でごはんを食べた。北さんは、麻の白服を着ていた。私は銘仙《めいせん》の単衣《ひとえ》。もっとも、鞄《かばん》の中には紬《つむぎ》の着物と、袴《はかま》が用意されていた。ビイルを飲みながら北さんは、
「風向きが変りましたよ。」と言った。ちょっと考えて、それから、「実は、兄さんが東京へ来ているんです。」
「なあんだ。それじゃ、この旅行は意味が無い。」私はがっかりした。
「いいえ。くにへ行って兄さんに逢うのが目的じゃない。お母さんに逢えたら、いいんだ。私はそう思いますよ。」
「でも、兄さんの留守《るす》に、僕たちが乗り込むのは、なんだか卑怯《ひきょう》みたいですが。」
「そんな事は無い。私は、ゆうべ兄さんに逢って、ちょっと言って置いたんです。」
「修治をくにへ連れて行くと言ったのですか?」
「いいえ、そんな事は言えない。言ったら兄さんは、北君そりゃ困るとおっしゃるでしょう。内心はどうあっても、とにかく、そうおっしゃらなければなら
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