ほうぎょ》の時の思い出である。私は明治四十二年の夏の生れであるから、この時は、かぞえどしの四歳であった筈《はず》である。
またその「思い出」という小説の中には、こんなのもある。
「もし戦争が起ったなら。という題を与えられて、地震雷火事|親爺《おやじ》、それ以上に怖《こわ》い戦争が起ったなら先《ま》ず山の中へでも逃げ込もう、逃げるついでに先生をも誘おう、先生も人間、僕も人間、いくさの怖いのは同じであろう、と書いた。此《こ》の時には校長と次席訓導とが二人がかりで私を調べた。どういう気持で之《これ》を書いたか、と聞かれたので、私はただ面白半分に書きました、といい加減なごまかしを言った。次席訓導は手帖へ、『好奇心』と書き込んだ。それから私と次席訓導とが少し議論を始めた。先生も人間、僕も人間、と書いてあるが、人間というものは皆おなじものか、と彼は尋ねた。そう思う、と私はもじもじしながら答えた。私はいったいに口が重い方であった。それでは僕と此の校長先生とは同じ人間でありながら、どうして給料が違うのだ、と彼に問われて私は暫《しばら》く考えた。そして、それは仕事がちがうからでないか、と答えた。鉄縁の
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