ジャズ文学というのがあって、これと対抗していたが、これはまた眼がしらが熱くなるどころか、チンプンカンプンであった。可笑《おか》しくもなかった。私はとうとう、レヴュウというものを理解できずに終った。モダン精神が、わからなかったのである。してみると、当時の日本の風潮は、アメリカ風とソヴィエト風との交錯であった。大正末期から昭和初年にかけての頃である。いまから二十年前である。ダンスホールとストライキ。煙突男などという派手な事件もあった。)
 結局私は、生家をあざむき、つまり「戦略」を用いて、お金やら着物やらいろいろのものを送らせて、之《これ》を同志とわけ合うだけの能しか無い男であった。
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 満洲事変が起った。爆弾三勇士。私はその美談に少しも感心しなかった。
 私はたびたび留置場にいれられ、取調べの刑事が、私のおとなしすぎる態度に呆《あき》れて、「おめえみたいなブルジョアの坊ちゃんに革命なんて出来るものか。本当の革命は、おれたちがやるんだ。」と言った。
 その言葉には妙な現実感があった。
 のちに到り、所謂青年将校と組んで、イヤな、無教養の、不吉な、変態革命を兇暴《きょうぼう》に遂行した人の中に、あのひとも混っていたような気がしてならぬ。
 同志たちは次々と投獄せられた。ほとんど全部、投獄せられた。
 中国を相手の戦争は継続している。
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 私は、純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。まったく利己の心の無い生活。けれども、それは、至難の業であった。私はただ、やけ酒を飲むばかりであった。
 私の最も憎悪したものは、偽善であった。
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 キリスト。私はそのひとの苦悩だけを思った。
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 関東地方一帯に珍らしい大雪が降った。その日に、二・二六事件というものが起った。私は、ムッとした。どうしようと言うんだ。何をしようと言うんだ。
 実に不愉快であった。馬鹿野郎だと思った。激怒に似た気持であった。
 プランがあるのか。組織があるのか。何も無かった。
 狂人の発作に近かった。
 組織の無いテロリズムは、最も悪質の犯罪である。馬鹿とも何とも言いようがない。
 このいい気な愚行のにおいが、所謂大東亜戦争の終りまでただよっていた。
 東条の背後に、何かあるのかと思ったら、格別のものもなかった。からっぽであった。怪談に似ている。
 その二・二六事件の反面に於いて、日本では、同じ頃に、オサダ事件というものがあった。オサダは眼帯をして変装した。更衣の季節で、オサダは逃げながら袷《あわせ》をセルに着換えた。
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 どうなるのだ。私はそれまで既に、四度も自殺未遂を行っていた。そうしてやはり、三日に一度は死ぬ事を考えた。
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 中国との戦争はいつまでも長びく。たいていの人は、この戦争は無意味だと考えるようになった。転換。敵は米英という事になった。
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 ジリ貧《ヒン》という言葉を、大本営の将軍たちは、大まじめで教えていた。ユウモアのつもりでもないらしい。しかし私はその言葉を、笑いを伴わずに言う事が出来なかった。この一戦なにがなんでもやり抜くぞ、という歌を将軍たちは奨励したが、少しもはやらなかった。さすがに民衆も、はずかしくて歌えなかったようである。将軍たちはまた、鉄桶という言葉をやたらに新聞人たちに使用させた。しかし、それは棺桶を聯想《れんそう》させた。転進という、何かころころ転げ廻るボールを聯想させるような言葉も発明された。敵わが腹中にはいる、と言ってにやりと薄気味わるく笑う将軍も出て来た。私たちなら蜂《はち》一匹だって、ふところへはいったら、七転八倒の大騒ぎを演ぜざるを得ないのに、この将軍は、敵の大部隊を全部ふところにいれて、これでよし、と言っている。もみつぶしてしまうつもりであったろうか。天王山は諸所方々に移転した。何だってまた天王山を持ち出したのだろう。関ヶ原だってよさそうなものだ。天王山を間違えたのかどうだか、天目山などと言う将軍も出て来た。天目山なら話にならない。実にそれは不可解な譬《たと》えであった。或る参謀将校は、この度のわが作戦は、敵の意表の外に出ず、と語った。それがそのまま新聞に出た。参謀も新聞社も、ユウモアのつもりではなかったようだ。大まじめであった。意表の外に出たなら、ころげ落ちるより他はあるまい。あまりの飛躍である。
 指導者は全部、無学であった。常識のレベルにさえ達していなかった。
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 しかし彼等は脅迫した。天皇の名を騙《かた》って脅迫した。私は天皇を好きである。大好きである。しかし、一夜ひそかにその天皇を、おうらみ申した事さえあった。
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 日本は無条件降伏をした。私
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