屋から出て行つて呉れた。
だんだん茶店の人たちも、あのお客は、ただ口が重いだけで、別段に惡だくみのある者でないといふことが判つた樣子で、お客さんのお嫁さんになるひと仕合せですね、世話が燒けなくて、とをばさんに冗談言はれて、私は苦笑して、やつと打ち解けて來たころには、はや十一月、峠の寒氣、堪へがたくなつた。
(中) 御坂退却のこと
そろそろ私は、なまけはじめた。どうしても三百枚ぐらゐの長編にしたいのである。まだ半分もできてゐない。いまが、だいじのところである。一日ぼんやり机のまへに坐つて、煙草ばかりふかしてゐる。茶店のをばさんが、だいいちに心配しはじめた。お仕事できますか? と私が階下のストオヴにあたりに行くたんびに、さう尋ねる。できません。寒いから、かなはない、と私は、自分の怠惰を、時候のせゐにする。をばさんは、バスに乘つて、峠の下の吉田へ行つて、こたつをひとつ買つて來た。
そのとき一緒に、やさしい模樣のスリツパも買つて來た。廊下を歩くのに足の裏が冷たからうといふ思ひやりの樣であつた。私はそのスリツパをはいて、二階の廊下を懷手して、ぶらぶら歩き、ときどき富士を不
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