九月十月十一月
太宰治

     (上) 御坂で苦慮のこと

 甲州御坂峠の頂上に在る茶店の二階を借りて、長篇小説すこしづつ書きすすめて、九月、十月、十一月、三つきめに、やつと、茶店のをばさん、娘さん、と世間話こだはらず語り合へるくらゐに、馴れた。宿に著いて、すぐ女中さんたちに輕い冗談言へるやうな、器用な男ではないのである。それに私はこれまで滅茶な男のやうに言はれてゐるし、人と同じ樣に立小便しても、ああ、やつぱりあいつは無禮だ、とたちまち特別に指彈を受けるであらうから、旅に出ても、人一倍、自分の擧動に注意しなければ、いけない。

 私は、おとなしく毎日、机に向つてゐた。をばさんも、娘さんも、はじめのうちは、私の音無しさに、かへつて奇怪を感じた樣子で、あのお客さんは女みたいだ、と蔭口きいて、私は、それをちらと聞いて、ああ、あんまり音無しくしてもいけないのか、とくやしく思つた。それから努めて、口をきくことにした。晩にお膳を持つて來る娘さんにも、何か一こと話しかけたく苦慮するのだが、どうも輕くふつと出ない。口をひらけば、何か人生問題を、演説口調で大聲叱咤しさうな氣がして、どうも何氣ない話は
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