のまえをとおった。七年まえの師走、月のあかい一夜、女は死に、私は、この病院に収容された。ひとつきほど、ここで遊んで、からだの恢復をはかったのであるが、そのひとつき間の生活は、ほのかにではあったけれども、私に生きているよろこびを知らせて呉れた。それからの七年間、私にとっては五十年、いや十種類の生涯のようにも思われたほど、さまざまの困難が起り、そのときそのときの私の辛抱もまったくむだのようであって、私にはあたりまえの生活ができず、ふたたび死ぬる目的を以て、こんどはひとりでやって来た。療養院にも七年の風雨が見舞っていて、純白のペンキの塗られていた離宮のような鉄の門は鼠いろに変色し、七年間、私の眼にいよいよ鮮明にしみついていた屋根の瓦《かわら》の燃えるような青さも、まだらに白く禿《は》げて、ところどころを黒い日本瓦で修繕され、きたならしく、よそよそしく、まったく他人の顔であった。七年間、ほかの人から見たならば、私の微笑は、私の姿態は、この建築物よりいっそう汚れて見えるだろう。おや? 不思議のこともあるものだ。あの岩がなくなっているのである。ねえ、この岩が、お母さんのような気がしない? あたたか
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