まり、「厳粛のことを語る。と。」にいたるこの数行の文章は、日本紙に一字一字、ていねいに毛筆でもって書きしたためられ、かれの書斎の硯箱《すずりばこ》のしたに隠されていたものである。案ずるに、かれはこの数行の文章をかれ自身の履歴書の下書として書きはじめ、一、二行を書いているうちに、はや、かれの生涯の悪癖、含羞《がんしゅう》の火煙が、浅間山のそれのように突如、天をも焦《こ》がさむ勢にて噴出し、ために、「なあんてね」の韜晦《とうかい》の一語がひょいと顔を出さなければならぬ事態に立ちいたり、かれ日頃ご自慢の竜頭蛇尾の形に歪《ゆが》めて置いて筆を投げた、というようなふうである。私は、かれの歿したる直後に、この数行の文章に接し、はっと凝視し、再読、三読、さらに持ち直して見つめたのだが、どうにも眼が曇って、ついには、歔欷《きょき》の波うねり、一字をも読む能わず、四つに折り畳んで、ふところへ、仕舞い込んだものであるが、内心、塩でもまれて焼き焦がされる思いであった。
 残念、むねんの情であった。若き兵士たり、それから数行の文章の奥底に潜んで在る不安、乃至《ないし》は、極度なる羞恥感、自意識の過重、或る一階
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