兄に渡し、自分も学内にR・Sを作りました。関タッチイはそのメンバーであり、彼の下宿はアジトでした。その頃、自殺を企て、実行もした元気のない塩田カジョーと知り合ったのです。タッチイがへまをしてつかまりました。タッチイは頑張《がんば》ってくれたのでしたが、ぼくは、その前から家を飛びだしもぐっていた兄にならって、殆《ほと》んど狂気しかかっているヒステリイの母をみすてて、ぼくも一週間、逃げ歩きました。家の様子をみにきたぼくは姉に掴りました。学資がなく学校も止めさせられ、ぼくは義兄の世話で月給十八円で或る写真工場につとめに出ました。母と共に二間の長屋に住んで。――ぼくは直ちに職場に組織を作り、キャップとなり、仕事を終えると、街で上の線と逢い、きっ茶店で、顔をこわばらせて、秘密書類を交換しました。その内、僅《わず》か四五カ月。間もなく、プロバカートル事件が起り、逃げてきて転向し、再び経済記者に返った兄の働きで、ぼくも学校に戻れました。転向後だったので、兄は二カ月、ぼくは大した事もなかったので半日、豚箱に置かれました。職場にいた頃、機関雑誌に僕はミューレンの焼き直し童話や、片岡鉄兵氏ばりのプロレタリ
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