貧乏官吏から一先ず息をつけていたのですが、肺病になり、一家を挙げて鎌倉に移りました。父はその昔、一世を驚倒《きょうとう》せしめた、歴史家です。二十四歳にして新聞社長になり、株ですって、陋巷《ろうこう》に史書をあさり、ペン一本の生活もしました。小説も書いたようです。大町|桂月《けいげつ》、福本日南等と交友あり、桂月を罵《ののし》って、仙をてらう、と云いつつ、おのれも某伯、某男、某子等の知遇を受け、熱烈な皇室中心主義者、いっこくな官吏、孤高|狷介《けんかい》、読書、追及、倦《う》まざる史家、癇癪持《かんしゃくもち》の父親として一生を終りました。十三歳の時です。その二年前、小学六年の時、ぼくの受持教師は鎌倉大仏殿の坊主でした。その影響で、ぼくは別荘の坊ちゃんとしての我儘《わがまま》なしたいほうだいを止めて、執偏奇的な宗教家、神秘家になりました。ぼくは現実に神をみたのです。一方、豆本熱は病こうこうに入って、蒐集《しゅうしゅう》した長篇講談はぼくの背を越しました。作文の時間には指名されて朗読しました。『新聞』と云う題で夕刊売の話を書き級中を泣かせました。俳句を地方新聞にも出されました。ぼくは幼な
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