口で働きものゆえ一緒に世帯《しょたい》を持って、そのうちにだんだんあたたかくなると共に、あのきれいなお嫁も痩《や》せて元気がなくなり、玉のようなからだも、なんだかおとろえて、家の中が暗くなった。主《あるじ》は、心細さに堪えかね、一日、たらいにお湯を汲みいれて、むりやりお嫁に着物を脱がせ、お嫁の背中を洗ってやった。お嫁はしくしく泣きながら、背中洗ってくれているやさしかった主《あるじ》にむかって、『私が死んでも、――』と言いかけて、さらさらと絹ずれの音がしてお嫁のすがたが見えなくなった。たらいの中には桜貝《さくらがい》の櫛《くし》と笄《こうがい》が浮んでいるだけであった。雪女、お湯に溶けてしまった、という物語。私は尚も言葉をつづけて、私、考えますに葛《くず》の葉の如く、この雪女郎のお嫁が懐妊《かいにん》し、そのお腹をいためて生んだ子があったとしたなら、そうして子供が成長して、雪の降る季節になれば、雪の野山、母をあこがれ歩くものとしたなら、この物語、世界の人、ことごとくを充分にうっとりさせ得ると、信じて居る。そう言いむすんだとき、見よ、世界の人の中のひとり、私の先輩も、頬を染めて浮かれだし、
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