己紹介させて下さい。十五、六歳の頃、佐藤春夫先生と、芥川龍之介先生に心酔しました。十七歳の頃、マルクスとレエニンに心酔しました。(命を賭《と》して。)……ところが、十八歳になると、また『芥川』に逆戻りして、辻潤氏に心酔しました。(太宰って、なあんて張り合いのない野郎だろう。聞いているのか、ダルマ、こちらむけ、われも淋《さび》しい秋の暮、とは如何《いかが》? お助け下さい。くず籠《かご》へ投げこまないで下さい。せいぜい面白くかきますから。)『芥川』を透して、アナトール・フランス(敬語は不用でしょう)を、ボードレエルを、E・A・ポーを、愛読しました。それから文学を留守にして、幻燈の街に出かけたり、とやかくやして、現在の僕になりました。僕は文学をやるのに、語学の必要を感じつつ、外国語はさておき、日本語の勉強をすらやらないで、(面白くない? もう少しですから、辛抱たのむ。)便便として過してます。自分の生活を盲動だと思って、然し、人生そのものが盲動さ、と自問自答しています。(秋の夜や、自問自答の気の弱り。これは二百年まえの翁の句です。)二十歳の少年の分際で、これはあまり諦めがよすぎるかも知れません。……シェストフ的不安とは何であるか、僕は知りません。ジッドは『狭き門』を読んだ切りで、純情な青年の恋物語であり、シンセリティの尊さを感じたくらいで、……とにかく、浅学|菲才《ひさい》の僕であります。これで失礼申します。私は、とんでもない無礼をいたしました。私の身のほどを、只今、はっと知りました。候文《そうろうぶん》なら、いくらでもなんでも。他人からの借衣なら、たとい五つ紋の紋附《もんつ》きでも、すまして着て居られる。あれですね。それでは、唄わせて、(ふびんなことを言うなよ。)いや、書かせていただきます。拝啓。小生儀、異性の一友人にすすめられ、『めくら草紙』を読み、それから『ダス・ゲマイネ』を読み、たちどころに、太宰治ファン[#「ファン」に傍点]に相成《あいなり》候《そうろう》ものにして、これは、ファン・レターと御承知|被下度《くだされたく》候。『新ロマン派』も十月号より購読致し、『もの想う葦』を読ませて戴き居候。知性の極というものは、……の馬場の言葉に、小生……いや、何も言うことは無之《これなき》候。映画ファンならば、この辺でプロマイドサインを願う可きと存候《ぞんじそうら》え共、そして小生も何か太宰治さま、よりの『サイン』に似たもの、欲しとは存じ候え共、いけませんでしょうか。御伺い申上候。かかる原稿用紙様の手紙にて、礼を失し候段、甚謝《じんしゃ》仕候。敬具。十二月二十二日。太宰治様。わが名は、なでしことやら、夕顔とやら、あざみとやら。追伸《ついしん》、この手紙に、僕は、言い足りない、或《あるい》は言い過ぎた、ことの自己嫌悪を感じ、『ダス・ゲマイネ』のうちの言葉、『しどろもどろの看板』を感じる。(いや、ばかなことを言った。)太宰さん、これは、だめです。だいいち私に、異性の友人など、いつできたのだろう。全部ウソです。サインなんか不要です。私は、貴下の、――いや、むずかしくなって来ました。御返事かならず不要です。そんなもの、いやです。おかしくって。私たちの作家が出たというのは、うれしいことです。苦しくとも、生きて下さい。あなたのうしろには、ものが言えない自己喪失の亡者が、十万、うようよして居ります。日本文学史に、私たちの選手を出し得たということは、うれしい。雲霞《うんか》のごときわれわれに、表現を与えて呉れた作家の出現をよろこぶ者でございます。(涙が出て、出て、しようがない)私たち、十万の青年、実社会に出て、果して生きとおせるか否か、厳粛の実験が、貴下の一身に於いて、黙々と行われて居ります。以上、書いたことで、私は、まだ少年の域を脱せず、『高所の空気、強い空気』である、あなたに、手紙を書いたり、逢ったりすることに依《よ》りて、『凍える危険』を感ずる者である。まことに敬畏《けいい》する態度で、私は、この手紙一本きりで、あなたから逃げ出す。めくら蜘蛛《ぐも》、願わくば、小雀《こすずめ》に対して、寛大であられんことを。勿論お作は、誰よりも熱心に愛読します心算《つもり》、もう一言。――君に黄昏《たそがれ》が来はじめたのだ……君は稲妻《いなずま》を弄《もてあそ》んだ。あまり深く太陽を見つめすぎた。それではたまらない……(一行あき。)めくら草紙の作者に、この言葉あてはまるや否や、――ストリンドベルグの『ダマスクスへ』よりの言葉である。と、ああ、気取った書き方をして了《しま》った。もう、これ以上、書かないけれども、太宰治様。僕は、あなたの処へ飛んで行って暗いところで話し度《た》い。改造にあなたが書けば改造を買い、中公にあなたが書けば中公を買う。そして、わざと三円
前へ
次へ
全30ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング