よろしくお願いします。」
「おう、そうか、」と私は苦笑して、「さっきの咳ばらいは、おれの空耳であったべな。こうなると、どうも、男よりも女子《おなご》のほうが、しっかりしている。それでは、どうか、よろしくたのむよ。」
「はあ、承知しました。」たのもしげに、首肯《うなず》きます。
 私は、ほっとして、それでは帰ろうかと腰を浮かしかけた途端に、馬小屋のほうで、
「馬鹿! 命をそまつにするな!」と、あきらかに署長の声です。続いて、おそろしく大きい物音が。

 名誉職は、そこまで語って、それから火鉢の火を火箸《ひばし》でいじくりながら、しばらく黙っていた。
「で? どうしたのです。」と私は、さいそくした。「いたのですか?」
「いるも、いないも、」と言って、彼は火箸をぐさと灰に深く突き刺し、「二日も前から来ていたんですよ。ひどいじゃありませんか。二日も前に帰って来て、そうして、嫁と相談して、馬小屋の屋根裏の、この辺ではマギと言っていますが、まあ乾草や何かを入れて置くところですな、そこへ隠れていたのです。もちろん、嫁の入智慧《いれぢえ》です。母は盲目だし、いい加減にだまして、そうしてこっそり馬小屋の
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