お前にお願いする。」
私は、お辞儀をしました。吹雪の音にまじって、馬小屋のほうから小さい咳《せき》ばらいが聞えました。私は顔を挙げて、
「いま、お前は、咳をしたか。」
「いいえ。」嫁は私の顔をけげんそうに見て、静かに答えます。
「それでは、いまの咳は誰のだ。お前には、聞えなかったか。」
「さあ、べつに、なんにも。」と言って、うすら笑いをしました。
私は、その時、なぜだか、全身鳥肌立つほど、ぞっとしました。
「来てるんでないか。おい、お前、だましてはだめだ。圭吾は、あの馬小屋にいるんでないか?」
私のあわてて騒ぐ様子が、よっぽど滑稽《こっけい》なものだったと見えて、嫁は、膝の上の縫い物をわきにのけ、顔を膝に押しつけるようにして、うふふふと笑い咽《むせ》んでしまいました。しばらくして顔を挙げ、笑いをこらえているように、下唇を噛《か》んで、ぽっと湯上りくらいに赤らんでいる顔を仰向けて、乱れた髪を掻《か》きあげ、それから、急にまじめになって私のほうにまっすぐに向き直り、
「安心してけせ。わたしも、馬鹿でごいせん。来たら来たと、かならずあなたのところさ、知らせに行きます。その時は、どうか、
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