ん坊に添寝《そいね》して、それっきりぐうぐう大鼾《おおいびき》だ。夜なべもくそもありやしねえ。お前は、さすがに出征兵士の妻だけあって、感心だ、感心だ。」などと、まことに下手《へた》なほめ方をして外套《がいとう》を脱ぎ、もともと、もう礼儀も何も不要な身内の家なのですから、のこのこ上り込んで炉傍に大あぐらをかき、
「ばばちゃは、寝たか。」とたずねます。
圭吾には、盲目の母があるのです。
「ばばちゃは、寝て夢でも見るのが、一ばんの楽しみだべ。」と嫁は、縫い物をつづけながら少し笑って答えます。
「うん、まあそんなところかも知れない。お前も、なかなか苦労が多いの。しかし、いまの時代は、日本国中に仕合せな人は、ひとりもねえのだからな、つらくても、しばらくの我慢だ。何か思いに余る心配事でも起った時には、おれのところへ相談に来ればいいし、のう。」
「有難うごす。きょうはまた、どこからかのお帰りですか。おそいねす。」
「おれか? いや、どこの帰りでもねえ。まっすぐに、ここさ来たのだ。」
どうも私は駈引《かけひ》きという事がきらいで、いや、駈引きしたいと思っても、めんどうくさくて、とても出来ないたちですので、ちょっと気まずくても、ありのままを言う事にしているのです。そのために、思わぬ難儀が振りかかって来た事もありますが、しかし、駈引きして成功しても永続きはしないような気がするのです。
その時も、私は、下手な小細工《こざいく》をしたって仕様が無いと思って、「まっすぐに、ここさ来た」と本当の事を言ったのですが、嫁は別にそれを気にとめる様子も無く、あたらしい薪《まき》を二本、炉にくべて、また縫い物を続けます。
へんな事をおたずねするようですが、あなたと私とは小学校の同級生ですから、同じとしの三十七、いやもう二、三週間すると昭和二十一年になって、三十八。ところでどうです、このとしになっても、やはり、色気はあるでしょう、いや、冗談でなく、私はいつか誰かに聞いてみたいと思っていた事なのです。まさか、私は、このとおり頭が禿《は》げて、子供が四人もあって、手の皮なんかもこんなに厚くなって、ひびだらけでささくれ立って、こんな手で女の柔い着物などにさわったら、手の皮がひっかかっていけないでしょう、このようなていたらくで、愛だの恋だのを囁《ささや》く勇気は流石《さすが》にありませんが、しかし、色気と
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