ところでは、当将軍家とお逢ひになつて、その時お二人の間に、私たちには覬覦を許さぬ何か尊い火花のやうなものが発して、それがあの「方丈記」とかいふものをお書きにならうと思ひ立つた端緒になつたのではあるまいか、ひよつとしたら、さすがの御老人も、天衣無縫の将軍家に、その急所弱所を見破られて謂はば奮起一番、筆を洗つてその名文をお書きはじめになつたのではあるまいか、などと、俗な身贔屓すぎてお笑ひなさるかも知れませんが私などには、どうも、そのやうな気がしてなりませぬのでございます。とにかく、あの長明入道さまにしても、六十ちかい老齢を以て京の草庵からわざわざあづまの鎌倉までまかり越したといふのには、何かよほどの御決意のひそんでゐなければなりませぬところで、この捨てた憂き世に、けれどもたつたお一人、お逢ひしたいお方がある、もうそのお方は最後の望みの綱といふやうなお気持で、将軍家にお目にかかりにやつて来られたらしいといふのは、私どもにも察しのつく事でございますが、けれども、永く鎌倉に御滞在もなさらず、故右大将さまの御堂で涙をお流しになつたりなどして、早々に帰洛なされ、すぐさま「方丈記」といふ一代の名作とや
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