はるなどは、とんでもない愚かな事で、ばからしいにも程がございます。そのやうな、ややこしい理由など、一つも無いのでございます。大君への忠義の赤心に、理由はございません。将軍家に於いても、ただ二念なく大君の御鴻恩に感泣し、ひたすら忠義の赤誠を披瀝し奉らん純真無垢のお心から、このやうなお歌をお作りになつたので、なんの御他意も無かつたものと私どもには信ぜられるのでございます。御胸中にたとひ幽かにでも御他意の影があつたら、とても、このやうに高潔清澄の調べが出るものではございませぬ。将軍家はこの時は御年わづかに二十二歳でごさいましたが、このとしの暮に、例の、鎌倉右大臣家集または金槐和歌集とのちに称せられた御自身の和歌集を御みづからお編みになつてその折に、この三首のお歌を和歌集の巻軸として最後のとどめの場所にお据ゑになり、やがてその御歌集を仙洞御所へも捧げたてまつつた御様子でございました。私どもの日常拝しましたところでは、あの将軍家でさへ、決して普通のお生れつきではなく、ただ有難く尊く目のくらむ思ひがするばかりでございましたのに、その将軍家を御一枚の御親書によつて百の霹靂に逢ひし時よりも強く震撼せしめ恐懼せしめ感泣せしめるお方の御威徳の高さのほどは、私ども虫けらの者には推しはかり奉る事も何も出来ず、ただ、そのやうに雲表はるかに高く巍然燦然と聳えて居られる至尊のお方のおはしますこの日本国に生れた事の有難さに、自づから涙が湧いて出るばかりの事でございます。ただもう幕府大事であくせくしてゐるあの相州さまなど、少しは将軍家を見習ひ、この御皇室の洪大の御恩徳の端にでも浴するやうに心掛けてゐたならば、後のさまざまの悲惨も起らずにすんだのでございませうが、そこは将軍家と根本から違つて、胆力もあり手腕もあり押しも押されもせぬ大政治家でございましたのに、御自身御一家の利害のみを考へ、高潔の献身を知らぬお方でございましたので、次第に人から憎まれるやうになり、つひには御自分から下品の御本性を暴露なさるやうにさへなりました。このとしの二月にも信濃国の住人、泉小次郎親平といふ人が、相州さまを憎んで亡きものにしようと内々謀逆を企ててゐたのが、未然に露顕して鎌倉中が大騒動になつたといふ事件がございました。この泉小次郎親平といふ人は、前将軍左金吾禅室さまの三男若君、千寿さまを大将軍に擁立して、いまは時を得顔の北
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