いて、衣服調度ことごとく金銀錦繍に非ざる無く、陽を受けて燦然と輝き、拝する者みな、うつとりと夢見るやうな心地になつてしまひましたさうで、けれども花嫁さまの御輿から幽かに、すすり泣きのお声のもれたのを、たしかに聞いたと言ひ張る人もございましたさうで、まさか、そのやうな事のあるべき筈はございませぬが、でも御年わづか十三歳、見知らぬ遠いあづまの国へ御下向なさるのでございますから、ずいぶんお心許なく思召したに違ひございませぬ。将軍家に於いても、それを御明察なさらぬわけはなく、何かと優しくおいたはりになつた事と存ぜられます。私が御ところへあがつた時には、御台所さまもすでに御年十七歳、あづまの水にも言葉にも、すつかりお馴れの御様子で、京をお恋ひなさるやうな御気色はみぢんもお見せになりませんでした。さうして故右大臣さま御在世中は、ただの一度も京へおいでになられた事もなく、しんから鎌倉のお人になり切つて居られて、右大臣さまがあのやうな御最期なされたその翌日、荘厳房律師行勇さまの御戒師にて、ほとんど御家人のどなたよりもさきに御剃髪なさいました。風にも堪へぬやうな、弱々しく※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]たけたお方ではごさいましたが、やはり尊いお生れつきのお方はなんといつても違ふもので、征夷大将軍源実朝公の御台所に恥ぢぬ凜乎たる御自負と御決意とをつねにそのお胸の内にお収めなさつて居られたやうに日頃、私たちにも拝されました。そのやうにお心ばえのうるはしい御台所さまでございましたから、あのお強い御気性の尼御台さまも、この御台所さまをお可愛がりなさる事ひとかたでなく、どこへおいでになるにもお連れになつて、お互ひ実の御親子以上にお打解けられ末しじゆう御睦じくして居られたやうでございました。将軍家の御台所さまを御大切になさることもまた、それに劣らず、承元四年の六月の事でございましたが、御台所さまのおつきの女房丹後局さまが、京都へまゐりまして鎌倉への帰途、駿河国宇都山に於いて群盗に逢ひ、所持の財宝ならびに、御台所さまの御実家、坊門さまより整へ下された御台所さまへの御土産の御晴衣など悉く盗み取られたといふ事件がございまして、将軍家はそれをお聞きになり、御台所さまをお気の毒に思召したからでもございませう、直ちに駿河以西の海道の駅々に夜番を立たせ、これからも厳重に旅人の警固に
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