でこりこりした。手も足も出ないのだとあきらめた。支配人にすべてをまかせた。彼の代になつて、かはつたのは、洋室の祖父の肖像畫がけしの花の油畫と掛けかへられたことと、まだある、黒い鐵の門のうへに佛蘭西風の軒燈をぼんやり灯した。
 すべてが、もとのままであつた。變化は外からやつて來た。父にわかれて二年目の夏のことであつた。そのまちの銀行の樣子がをかしくなつたのである。もしものときには、彼の家も破産せねばいけなかつた。
 救濟のみちがどうやらついた。しかし、支配人は工場の整理をもくろんだのである。そのことが使用人たちを怒らせた。彼には、永いあひだ氣にかけてゐたことが案外はやく來てしまつたやうな心地がした。奴等の要求をいれさせてやれ、と彼はわびしいよりむしろ腹立たしい氣持ちで支配人に言ひつけた。求められたものは與へる。それ以上は與へない。それでいいだらう? と彼は自身のこころに尋ねた。小規摸の整理がつつましく行はれた。
 その頃から寺を好き始めた。寺は、すぐ裏の山のうへでトタンの屋根を光らせてゐた。彼はそこの住職と親しくした。住職は痩せ細つて老いぼれてゐた。けれども右の耳朶がちぎれてゐて黒い痕を
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