くゆらしながら踏みとどまつた。呼びとめようとしないのだ。

       尼

 九月二十九日の夜更けのことであつた。あと一日がまんをして十月になつてから質屋へ行けば、利子がひと月分まうかると思つたので、僕は煙草ものまずにその日いちにち寢てばかりゐた。晝のうちにたくさん眠つた罰で、夜は眠れないのだ。夜の十一時半ころ、部屋の襖がことことと鳴つた。風だらうと思つてゐたのだが、しばらくして、またことことと鳴つた。おや、誰か居るのかなとも思はれ、蒲團から上半身をくねくねはみ出させて腕をのばし襖をあけてみたら、若い尼が立つてゐた。
 中肉のやや小柄な尼であつた。頭は青青してゐて、顏全體は卵のかたちに似てゐた。頬は淺黒く、粉つぽい感じであつた。眉は地藏さまの三日月眉で、眼は鈴をはつたやうにぱつちりしてゐて、睫がたいへん長かつた。鼻はこんもりともりあがつて小さく、兩唇はうす赤くて少し大きく、紙いちまいの厚さくらゐあいてゐてそのすきまから眞白い齒列が見えてゐた。こころもち受け口であつた。墨染めのころもは糊つけしてあるらしく折目折目がきつちりとたつてゐて、いくらか短かめであつた。脚が三寸くらゐ見えてゐて
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