もちを裝うておれの話を聞いてゐる。けれども、おれは知つてゐる。おそらくは君も、おれのやうな災難を受けたときには、いや、もつと手ぬるい問題にあつてさへ君の日ごろの高雅な文學論を持てあまして、數學はおろか、かぶと蟲いつぴきにさへとりすがらうとするであらう。
 おれは人體の内臟器官の名稱をいちいち數へあげながら、友人の居るアパアトに足を踏みいれた。
 友人の部屋の扉をノツクしてから、廊下の東南の隅につるされてある丸い金魚鉢を見あげ、泳いでゐる四つの金魚について、その鰭の數をしらべた。友人は、まだ寢てゐたのであつた。片眼だけをしぶくあけて、出て來た。友人の部屋へはひつて、おれはやうやくほつとした。
 いちばん恐ろしいのは孤獨である。なにか、おしやべりをしてゐると助かる。相手が女だと不安だ。男がよい。とりわけ好人物の男がよい。この友人はかういふ條件にかなつてゐる。
 おれは友人の近作について饒舌をふるつた。それは二十號の風景畫であつた。彼にしては大作の部類である。水の澄んだ沼のほとりに、赤い屋根の洋館が建つてゐる畫であつた。友人は、それを内氣らしくカンヴアスを裏がへしにして部屋の壁へ寄せかけて置
前へ 次へ
全29ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング