「君、すまないが、火を貸してくれ。」と言って私の煙草《たばこ》から彼の煙草に火を移して、そのまま立去ったのである。けれども流石《さすが》に、それから二、三日、私は面白くなかった。私が柔道五段か何かであったなら、あんな無礼者は、ゆるして置かんのだが、としきりに口惜しく思ったものだ。けれども、鴎外は敢然とやったのだ。全集の第三巻に「懇親会」という短篇がある。
(前略)
此時《このとき》座敷の隅を曲って右隣の方に、座蒲団《ざぶとん》が二つ程あいていた、その先の分の座蒲団の上へ、さっきの踊記者が来て胡坐《あぐら》をかいた。横にあった火鉢を正面に引き寄せて、両手で火鉢の縁を押えて、肩を怒らせた。そして顋《あご》を反《そ》らして斜に僕の方を見た。傍へ来たのを見れば、褐色の八字|髭《ひげ》が少しあるのを、上に向けてねじってある。今初めて見る顔である。
その男がこう云った。
「へん、気に食わない奴だ。大沼なんぞは馬鹿だけれども剛直な奴で、重りがあった。」
こう言いながら、火鉢を少し持ち上げて、畳を火鉢の尻で二、三度とんとんと衝《つ》いた。大沼の重りの象徴にする積《つも》りと見える。
「今度の奴は
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