近所に整骨院があって、そこの主人は柔道五段か何かで、小さい道場も設備せられてある。夕方、職場から帰った産業戦士たちが、その道場に立寄って、どたんばたんと稽古をしている。私は散歩の途中、その道場の窓の下に立ちどまり、背伸びしてそっと道場の内部を覗《のぞ》いてみる。実に壮烈なものである。私は、若い頑強の肉体を、生れてはじめて、胸の焼け焦げる程うらやましく思った。うなだれて、そのすぐ近くの禅林寺に行ってみる。この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓が、こんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、今はもう、気持が畏縮《いしゅく》してしまって、そんな空想など雲散霧消した。私には、そんな資格が無い。立派な口髭《くちひげ》を生やしながら、酔漢を相手に敢然と格闘して縁先から墜落したほどの豪傑と、同じ墓地に眠る資格は私に無い。お前なんかは、墓地の択《え》り好みなんて出来る身分ではないのだ。はっきりと、身の程を知らなければならぬ。私はその日、鴎外の端然たる黒い墓碑をちらと横目で見ただけで、あわてて帰宅したのである。家へ帰ると、一通の手紙が私を待受けていた。黄村先生からのお便りである。ああ、ここに先駆者がいた。私たちの、光栄ある悲壮の先駆者がいたのだ。以下はそのお便りの全文である。
 前略。その後は如何《いかが》。老生ちかごろ白氏の所謂《いわゆる》、間事《かんじ》を営み自ら笑うの心境に有之候《これありそうろう》。先日おいでの折、男子の面目は在武術と説き、諸卿《しょけい》の素直なる御賛同を得たるも、教訓する者みずから率先《そっせん》して実行せざれば、あたら卓説も瓦礫《がれき》に等しく意味無きものと相成るべく、老生もとより愚昧《ぐまい》と雖《いえど》も教えて責を負わざる無反省の教師にては無之《これなく》、昨夕、老骨奮起一番して弓の道場を訪れ申候。悲しい哉《かな》、老いの筋骨亀縮して手足十分に伸び申さず、わななきわななき引きしぼって放ちたる矢の的にはとどかで、すぐ目前の砂利の上にぱたりぱたりと落ちる淋しさ、お察し被下度《くだされたく》候。南無八幡《なむはちまん》! と瞑目《めいもく》し
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