まじめにほめてくれる友人は、この杉浦透馬ひとりしか無いのである。この杉浦にさえ見はなされたら、ずいぶん淋《さび》しい事になるだろうと思えば、いよいよ杉浦から離れられなくなるのである。杉浦は実に能弁の人であった。トランクなどをさげて、夜おそく勝治の家の玄関に現れ、「どうも、また、僕の身辺が危険になって来たようだ。誰かに尾行《びこう》されているような気もするから、君、ちょっと、家のまわりを探ってみて来てくれないか。」と声をひそめて言う。勝治は緊張して、そっと庭のほうから外へ出て家のぐるりを見廻り、「異状ないようです。」と小声で報告する。「そうか、ありがとう。もう僕も、今夜かぎりで君と逢《あ》えないかも知れませんが、けれども一身の危険よりも僕にはプロパガンダのほうが重大事です。逮捕される一瞬前まで、僕はプロパガンダを怠る事が出来ない。」やはり低い声で、けれども一語の遅滞《ちたい》もなく、滔滔《とうとう》と述べはじめる。勝治は、酒を飲みたくてたまらない。けれども、杉浦の真剣な態度が、なんだかこわい。あくびを噛《か》み殺して、「然《しか》り、然り」などと言っている。杉浦は泊って行く事もある。外へ
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