言つたんだ。あとは、もつぱら敬遠主義だ。君も少しは考へるがいい。かへれ。路頭に迷つたつて、僕の知つたことぢやない。」
 もぢもぢして、
「路頭は、寒くて、いや。」
 三木は、あやふく噴き出しさうになり、
「笑はせようたつて、だめさ。」言ひながら、はつきり負《ま》けたのを意識した。
「さちよ、ここにゐるか。」
「ゐる。」
「女優になるか。」
「なる。」
「勉強するか。」
「する。」
 三木の腕の中で、さちよは、小声で答へてゐた。
「ばかなやつ。」三木は、さちよのからだから離れて、「おふくろと、どんな話をしてゐた?」いつもの、やさしい歴史的さんに、かへつてゐた。
「あたし、お母さん好きよ。」さちよは、髪を掻きあげて、「これから、うんと孝行するの。」
 さうして、三木との同棲がはじまつた。三木は劇壇に、奇妙な勢力を持つてゐた。背後に、元老の鶴屋北水の頑強な支持もあつて、その特異な作風が、劇壇の人たちに敬遠にちかいほどの畏怖の情を以て見られてゐた。さちよの職場は、すぐにきまつた。鴎座である。そのころの鴎座は、素晴しかつた。日本の知識人は、一様に、鴎座の努力を尊敬してゐた。一座の指導者は、尾沼栄
前へ 次へ
全78ページ中66ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング