努力を、せせら笑つて蹴落すのだ。あなたは、いけない。あなたは、これから、さちよに触《さは》つては、いけない。一指もふれては、いけない。なんて、嘘なのよ。あたしは、とてもリアリスト。知つてゐるのよ。あなたの言ふこと、わかつてゐるのよ。知つてゐながら、それでも、もしや、といふ夢、持ちたいの。持つてゐたいの。笑はないでね。あたしたち、永遠にだめなの。わるくなつて行くだけなの。知つてゐる。ああ、いけない、はつきりきめないで、ね。死にたくなつちやふ。だけど、さちよだけは、ああ、偉くしたい、偉くしたい。あの子、頭がいい。あの子、可愛い。あの子、ふびんだ。知つてゐる? さちよは、いま、ある劇作家のおめかけよ。偉くなれ、なれ。おめかけなんて、しなくてすむやうに、――」
 青年は、立ちあがつてゐた。
「誰です。どこの人です。案内し給へ。」さつさと勘定すまして、酔ひどれた数枝のからだを、片腕でぐいと抱きあげ、「立ち給へ。いづれ、そんなことだらうと思つてゐた。たいへんな出世だ。さ、案内し給へ。どこの男だ。さちよにそんなことさせちや、いけないのだ。」
 円タクひろつた。淀橋に走らせた。
 自動車の中で、
「ばかだ。ばかも、ばかも、大ばかだ。君には、お礼を言ふ。よく知らせて呉れた。」数枝は、不吉な予感に、気が遠くなりさうだつた。「僕は、さちよを愛してゐる。愛して、愛して、愛してゐる。誰よりも高く愛してゐる。忘れたことが、なかつた。あのひとの苦しさは、僕が一ばん知つてゐる。なにもかも知つてゐる。あのひとは、いいひとだ。あのひとを腐らせては、いけない。ばかだ、ばかだ。ひとのめかけになるなんて。ばかだ。死ね! 僕が殺してやる。」
[#地から2字上げ]「火の鳥未完」



底本:「太宰治全集第二巻」筑摩書房
   1989(平成元)年8月25日初版第1刷発行
初出:「愛と美について」竹村書房
   1939(昭和14)年5月20日
入力:西田
校正:山本奈津恵
2000年5月3日公開
2007年2月20日修正
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