びだから、薙刀に負けちやふ。」
 ふふ、と数枝は笑つた。数枝の気嫌が直つたらしいので、さちよは嬉しく、
「ねえ。あたしの言ふこと、もすこしだまつて聞いてゐて呉れない? ご参考までに。」
「いふことが、いちいち、きざだな。歴史的氏の悪影響です。」数枝は、気をよくしてゐた。
「あたしは、ね、歴史的さんでも、助七でも、それから、ほかのひとでも、みんな好きよ。わるい人なんて、あたしは、見たことがない。お母さんでも、お父さんでも、みんな、やさしくいいひとだつた。伯父さんでも、伯母さんでも、ずいぶん偉いわ。とても、頭があがらない。はじめから、さうなのよ。あたし、ひとりが、劣つてゐるの。そんなに生れつき劣つてゐる子が、みんなに温く愛されて、ひとり、幸福にふとつてゐるなんて、あたし、もうそんなだつたら、死んだはうがいい。あたし、お役に立ちたいの。なんでもいい、人の役に立つて、死にたい。男のひとに、立派なよそほひをさせて、行く路々に薔薇の花を、いいえ、すみれくらゐの小さい貧しい花でもがまんするわ、一ぱいに敷いてやつて、その上を堂々と歩かせてみたい。さうして、その男のひとは、それをちつとも恩に着ない。これは、はじめからかうなんだと、のんきに平気で、行き逢ふ人、行き逢ふ人にのんびり挨拶をかへしながら澄まして歩いてゐると、まあ、男は、どんなに立派だらう。どんなに、きれいだらう。それを、あたしは、ものかげにかくれて、誰にも知られずに、そつとをがんで、うれしいだらうなあ。女の、一ばん深いよろこびといふものは、そんなところにあるのではないのかしら。さう思はれて仕方がない。」
「わるくないね。」数枝も、耳を傾けた。「参考になる。」
 さちよは、一息《ひといき》ついて、
「それを、男つたら、ひとがいいのねえ。だれもかれも、みんな、お坊ちやんよ。お金と、肉体だけが、女のよろこびだと、どこから聞いて来たのか、ひとりできめてしまつて、おかげで自分が、ずいぶんあくせく無理をして、女のはうでは、男のそんなひとりぎめを、ぶちこはすのが気の毒で、いぢらしさに負けてしまふのね。だまつて虚栄と、肉体の本能と二つだけのやうな顔をしてあげてやつてゐるのに、さうすると、いよいよ男は悟り顔してそれにきめてしまふもんだから、すこし、をかしいわ。女のひとは、誰でも、男のひとを尊敬してゐるし、なにかしてあげたいと一心に思ひつめてゐ
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