となしくするんだから、おとなしくしなければならないのだから、あたしをあまり叱らないでね。まちのお友達とも、誰とも、顔を合せたくないの。あたしを、どこかへ、かくして、ね。あたし、なんぼでも、おとなしくしてゐるから。」
十二、三歳のむすめのやうに、さちよは汽車の中で、繰りかへし繰りかへし懇願した。親戚の間で、この伯父だけは、さちよを何かと不憫《ふびん》がつてゐた。伯父は、承諾したのである。故郷のまちの二つ手前の駅で、伯父とさちよは、こつそり下車した。その山間の小駅から、くねくね曲つた山路を馬車にゆられて、約二十分、谷間の温泉場に到着した。
「いいか。当分は、ここにゐろ。おれは、もう何も言はぬ。うちの奴らには、おれから、いいやうに言つて置く。おまへも、もう、来年は、はたちだ。ここでゆつくり湯治しながら、よくよく将来のことを考へてみるがいい。おまへは、おまへの祖先のことを思つてみたことがあるか。おれの家とは、較べものにならぬほど立派な家柄である。おまへがもし軽はづみなことでもして呉れたなら、高野の家は、それつきり断絶だ。高野の血を受け継いで生きてゐるのは、いいか、おまへひとりだ。家系は、これは、大事にしなければいけないものだ。いまにおまへにも、いろいろあきらめが出て来て、もつと謙遜になつたとき、家系といふものが、どんなに生きることへの張りあひになるか、きつとわかる。高野の家を興さうぢやないか。自重しよう。これは、おれからのお願ひだ。また、おまへの貴い義務でもないのか。多くは無いが、おまへが一家を創生するだけの、それくらゐの財産は、おれのうちで、ちやんと保管してあります。東京での二年間のことは、これからのおまへの生涯に、かへつて薬になるかも知れぬ。過ぎ去つたことは、忘れろ。さういつても、無理かも知れぬが、しかし人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負つて、それでも、堪へて、そ知らぬふりして生きてゐるのではないのか。おれは、さう思ふ。まあ、当分、静かにして居れ。苦痛を、何か刺戟で治さうとしてはならぬ。ながい日数が、かかるけれども、自然療法がいちばんいい。がまんして、しばらくは、ここに居れ。おれは、これから、うちへ帰つて、みなに報告しなければいけない。悪いやうには、せぬ。それは、心配ない。お金は、一銭も置いて行かぬ。買ひたいものが、あるなら、宿へさう言ふがいい。おれから、宿の
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