にやにやして言つたのであるが、青年の、街路樹の下にすらと立つてゐる絵のやうに美しい姿を見て、流石にぐつと真面目になつた。いい男《をとこ》だなあ、と思つた。「すこし、君に、話したいことがあるのだけれど、なに、ちよつとでいいのです。つき合つて呉れませんか。おれだつて、――」言ひ澱んで、「君を好きです。」
三好野《みよしの》へはひつた。
「須々木乙彦、といふのは、あなたの親戚なんですつてね?」あなた、といつたり、君といつたり、助七は、秩序がなかつた。
「いとこですが。」青年は、熱い牛乳を啜つてゐた。朝から、何もたべてゐなかつた。
「どんな男です。」真剣だつた。
「僕の、僕たちの、――」青年は、どもつた。
「英雄ですか?」助七は、苦笑した。
「いいえ。愛人です。いのちの糧《かて》です。」
その言葉が、助七を撃つた。
「ああ、それはいい。」貧苦より身を起し、いままで十年間、こんな純粋の響の言棄を、聞いたことがなかつた。「おれは、ことし二十八だよ。十七のとしから給仕をして、人を疑ふことばかり覚えて来た。君たちは、いいなあ。」絶句した。
「ポオズですよ、僕たちは。」青年の左の眼は、不眠のために充血してゐた。「でも、ポオズの奥にも、いのちは在る。冷い気取りは、最高の愛情だ。僕は、須々木さんを見て、いつも、それを感じてゐました。」
「おれだつて、いのちの糧《かて》を持つてゐる。」
低くさう言つて、へんに親しげに青年の顔をしげしげ眺めた。
「存じて居ります。」
「一言もない。おれは、もともと賎民さ。たかだか一個の肉体を、肉体だけを、」言ひかけてふつと口を噤み、それからぐつと上半身を乗り出させて、「あなたは、あの女を、どう思ひますか?」
「気の毒な人だと思つてゐます。」用意してゐたのではないかと思はれるほど、涼しく答へた。
「それだけですか? いや、ここだけの話ですけれども、ね。奇妙な、何か、感じませんか?」
青年は、顔をあからめた。
「それごらん。」助七は、下唇を突き出し、にやと笑つた。「やつぱりさうだ。だけど、あなたは、まだいい。たつた一日だ。おれは、かれこれ、一年になります。三百六十五日。さうだ、あなたの三百六十五倍も、おれはあの女に苦しめられて来たのです。いや、あの女には、罪はない。それは、あのひとの知らないことだ。罪は、おれの下劣な血の中に在る。笑つて呉れ。おれは、あの
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