しら、あたしが新橋駅のプラットフォームで、秋の夜ふけだったわ、電車を待っていたら、とてもスマートな犬が、フォックステリヤというのかしら、一匹あたしの前を走っていって、あたしはそれを見送って、泣いたことがあるわ。かちかちかちかち、歩くたんびに爪の足音が聞えて、ああ犬は爪を隠せないのだ、と思ったら、犬の正直が、いじらしくて、男って、あんなものだ、と思ったら、なおのこと悲しくて、泣いちゃった。酔ったわよ。あたし、ばかね。どうして、こんなに、男を贔負《ひいき》するんだろ。男を、弱いと思うの。あたし、できることなら、からだを百にして千にしてたくさんの男のひとを、かばってやりたいとさえ思うわ。男は、だって、気取ってばかりいて可哀そうだもの。ほんとうの女らしさというものは、あたし、かえって、男をかばう強さに在ると思うの。あたしの父は、女はやさしくあれ、とあたしに教えていなくなっちゃったけれど、女のやさしさというものは、――」言いかけて、ものに驚いた鹿のように、ふっと首をもたげて耳をすまし、
「誰が来るわ。あたしを隠して。ちょっとでいいの。」にっと笑って、背後の押入れの襖《ふすま》をあけ、坐りながらす
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