ちよ君《くん》はね、いつでも、こんなこと、平気でやらかすものだから、弱るです。社へ情報がはいって、すぐ病院へ飛んでいったら、この先生、ただ、わあわあ泣いているんでしょう? わけがわからない。そのうちに警視庁から、記事の差止だ。ご存じですか? 須々木乙彦って、あれは、ただの鼠じゃないんですね。黒色テロ。銀行を襲撃しちゃった。」
 憮然《ぶぜん》と部屋の隅につっ立っていた青年は、
「たしかですか?」蒼《あお》ざめていた。
「もう、五六日したら、記事も解禁になるだろうと思いますが。」善光寺は、新聞社につとめていた。
 さちよは、静かに窓のカーテンをあけた。あたしは、病院でこの善光寺助七の腕に抱かれて泣いたのだ。
「あなたは、いつから来ていたの?」冷い語調であった。
「おれかい?」死んだ大倉喜八郎翁にそっくりの丸い顔を、ぱっとあからめ、子供のようにはにかんだ。「ほんの、少しまえです。けさ早く警視庁へ電話したら、あなたたちの出ることを知らせて呉れたので、とにかく、ここへ来てみたわけです。したのおばさん心配していたぜ。留守に何度も何度も刑事が来て、この部屋を掻《か》きまわしていったそうだ。おばさんには、おれから、うまく言って置きました。まあ、お坐りなさい。」さちよの顔を笑ってそっと見上げ、「よかったね。よく、君は、無事で、――」涙ぐんでいた。
 さちよは、机の上に片手をつき、崩れるように坐って、
「よくもないわ。煙草ないの? おやおや、あたし、あなたの顔を見ると、急に、煙草ほしくなるのね。」
「これは、ごあいさつだな。」助七は、それでも、恐悦であった。
「僕は、しつれいしましょう。」青年は、先刻から襖《ふすま》にかるく寄りかかり、つっ立ったままでいた。
「そう?」さちよは、きょとんとした顔つきで青年を見上げ、煙草のけむりをふっと吐いた。
「御自重なさいね。僕は、責任をもって、あなたを引き受けたのです。須々木さんのためにも、しっかりしていて下さい。僕は、乙やんを信じているのだ。どんなことがあったって、僕は乙やんを支持する。じゃあまた、そのうち、来ます。」
「どうも、きょうは、ありがとう。」蓮葉《はすっぱ》な口調で言って、顔を伏せ、そっと下唇を噛んだ。
 青年を見送りに立とうともせず、顔を伏せたままで、じっとしていた。階段を降りて行く青年の足音が聞えなくなってから、ふっと顔をあげて
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